へんな旅ばかりしています。

へんな旅をしているようなので、自分のための防備録的にやってみます。

ご近所トラベル:半田に行ってみたよ。その1「半田赤レンガ建物」

名古屋に住んで10年以上経ちますが、地元で行ってないところとか、ちゃんと見てないところとか結構あるなぁ、といつも思ってます。

 

折角なので、暇を見つけてちょこちょこ行ってみようと。

 

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で、半田にやってきました。

 

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名鉄で名古屋からおよそ30分、知多半田駅ひとつ手前の住吉町駅で下車。名鉄河和線は昼間だと特急・急行がそれぞれ30分ごと位に運転されていますが、この住吉町には特急は停車しないので、ここで降りるなら急行一択、ということになります。

 

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まず向かったのは「半田赤レンガ建物」。住吉町駅からは徒歩5分ほどです。ここは1898年にビール工場として建てられたもの。

 

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中に入るとカフェがあります。ちょうどお昼を過ぎたくらいの時間なので、ここで昼食としました。

 

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ソーセージやドイツパンの盛り合わせ「赤レンガプレート」と「カブトビール」のセットで1400円。「カブトビール」はその昔、ここで作られていたビールを「復刻した」というもの。濃いめでアルコール度7%の「明治」と軽めでアルコール度5%の「大正」の2種類がありましたが、今回は「大正」をチョイス。メニューをよく見たら両方飲み比べできるセットもあったんだ…。

 

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館内には有料ですが常設展示室があり、この建物のことだけでなく「カブトビール」の歴史なども紹介しています。ミツカンの4代目が甥と始めたそうですが、その「甥」というのが敷島製パンの創業者っていうから驚きです。また、創業時には既にサッポロ・エビス・キリン・アサヒが日本では4大ビールメーカーとして存在していた、ってのも「そんな時代から日本でビールってそれなりに普及してたの?」という感想。まぁお安いシロモノではなかったようで、ご贈答品として使われるときの豪華な化粧箱なども展示されていました。派手な広告で一時は4大メーカーに次ぐくらいの規模にまでは成長し、「三ツ矢サイダー」の会社と合併した(カブトビールと三ツ矢サイダーのロゴが一緒に入った法被などもありました)りしたものの、結局はサッポロ・エビス・アサヒが合併してできた大日本麦酒に合併。ブランドとしては残ってここで生産されていたものの、第2次大戦中の1943年に出された「企業整理令」によって工場は閉鎖、「カブトビール」の製造も終了することとなりました。ここではそんな「カブトビール」の歴史を、様々な資料で知ることができますが、地元では「片田舎から大手メーカーに挑戦した会社」という位置づけのようで、展示のトーンもそんな流れです。

 

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ビール生産終了後、軍需関連の倉庫として使われていたせいもあったのか、北側の外壁には米軍の戦闘機による機銃掃射の跡が残っています。

 

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敷地内にはこんな碑も。戦後は食品工場として使われていたとのことですが、こんなニッチな感じの「発祥の地」だったとは。

 

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「半田赤レンガ建物」から半田運河付近の「蔵のまちエリア」まで歩きます。「紺屋海道」という名前があるんですね。

 

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古い建物も割と残っていて、途中にはこんな良い感じの風景も。

 

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この書店、建物は昭和8年のものと実は割と古いものだそう。

 

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半田運河のあたりまで出てきました。「國盛」の中埜酒造の本社です。ここにも「酒の文化館」がありますが、完全予約制だそうで、今日はちょっと時間が足りずパスしました。

 

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運河あたりの雰囲気はなかなか悪くないと感じました。

 

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運河沿いにはこんな風情ある路地も。