いよいよこの旅も終盤、今日がパリ滞在の最終日。締めくくりはル・コルビュジエの最高傑作の一つと名高い「サヴォア邸」を見学します。
サヴォア邸はパリ郊外のポワシーという街に建てられました。パリ中心部からはRER のA線のポワシー行きに乗車。
およそ30分ほど、2階建ての電車に揺られて到着です。
ポワシー駅は構内にショップやレストランも何軒かあり、周囲も比較的賑やか。
サヴォア邸までは歩いても20分ほどの距離ですが、駅前から出るバスでも行くことができます。50番のバスに乗って10分ほど。
50番のバスは15分ごとくらいの運転で、結構本数はあるようです。
最寄りのバス停は、その名も「Villa Savoye」。一つ先に「Lycée Le Corbusier」というバス停もありますが、これは「コルビュジエ高校」前なのでご注意を。
バスを降りると、目の前がサヴォア邸の入口です。
入口から木立の通路を抜けると視界が広がって見えてくるのがコレ、サヴォア邸です。
サヴォア邸はその名の通り、「サヴォア家のお家」。当時は新しいビジネスだった「保険」をイギリスからフランスに持ち込んで成功したピエール・サヴォアが、自らが所有するこの土地に週末過ごす別荘の設計をル・コルビュジエに依頼したのが全ての始まりでした。それまでコルビュジエが設計した住宅のデザインが気に入っての起用だったようですが、あまり細かい注文は付けずに比較的自由にやってくれ的な仕事だったこともあり、当時コルビュジエが提唱していていた「近代建築の5原則」を全部ぶっ込んじゃう、という芸当ができたようです。サヴォアさんも地方の出身でパリの社交界とは距離を置いており、新しいモノへの抵抗も少なかった、という点も、当時としては異次元に「ヘン」な住宅が実現した一つの要因だそう。
玄関側のファサード。「近代建築の5原則」とは「ピロティ」「屋上庭園」「連続窓」「自由な平面」「自由なファサード」ですが、外から眺めるだけでもソレが詰め込まれていることが解ります。
玄関側から見て左側の側面。1階部分は緑色に塗られ、周囲の木々に紛れてカムフラージュされているかのよう。
右側側面。こちらの1階部分はガレージになっています。サヴォワ家は「クルマが3台駐められるガレージの設置」を数少ない注文事項の一つに掲げました。この住宅が完成したのは1931年ということで相当時代を先取りした感がありますが、サヴォア家では夫妻と子息がそれぞれ一台づつマイカーを持っていたためだとか。
では、内部へ入ってみましょう。玄関はガラス張り、半円を描いた壁面はクルマでのアクセスを考慮したもののようです。内部見学の入場料は8ユーロで、オーディオガイドが3ユーロで借りられますが、内容が非常に充実していて日本語解説もあるので是非借りて見学するのをお勧めします。
1階の玄関から中に入ると、2階に続くスロープが目の前に。1階には使用人の部屋が2つと、運転手の部屋が設置されています。左側の螺旋階段は主に使用人が使うことを想定したもの。館の主やゲストはスロープを使いますが、使用人は素早く移動しなければいけないでしょ、ということでの想定だとか。
2階へ上がると、大きなサロンがあります。五原則の「自由な平面」というのはこのように「壁や柱で制約されない自由な空間」ということ。中庭に面した大きなガラス窓も印象的です。天井に設置された銀色のパイプみたいなものは照明器具で、サヴォア夫人がどこかの工場で見かけて気に入ったとのことで採用されたのだそうです。現在、このサロンには家具などは殆ど置かれていませんが、当時どのような家具が置かれていたのか資料が少ないため、敢えてこのようにしているらしい。
サロンに隣接してキッチンが設置されています。サロンからの動線にも配慮され、キッチン自体も広くとられていますが、サヴォア夫人自らがキッチンに立ってゲストに手料理を振る舞うこともあったようで、そのような使用を想定したためのようです。
ゲストルームも1室用意されています。
こちらは子息のお部屋。奥のクローゼットはパーティションも兼ねていて…。
その裏側にはデスクスペースが。ちょっと秘密基地みたいで素敵。
このように、所々に天窓が設けられ、自然光が屋内に取り込まれるようになっています。
メインのバスルーム。奥の部屋は夫妻の寝室ですが、仕切りはカーテンだけなんですね…。その手前に波打っているタイルは寝椅子の役割を持っています。ちょっと寝そべって試したいところですが「座っちゃダメ」サインが出ていたので断念。
夫妻の寝室は、現在ではこのサヴォア邸に関するビデオ鑑賞ルームになっています。
夫妻の寝室に隣接して、夫人の個室があります。外側は連続窓が続いていますが、内側は中庭に面して小さな窓があるだけ。ちょっと「額縁」的です。
2階には大きな中庭があります。
大きな窓を通して、中庭からもサロンがよく見えます。
3階は「屋上庭園」。
屋上へもスロープでアプローチします。
屋上庭園はそれほど広くありませんが、このくらいのサイズの方が「落ち着く」ような気がします。壁面に開けられた窓からは、当時はセーヌ川が望めたそうです。
3階の屋上庭園から2階の中庭を見たところ。
このサヴォア邸、当時としては非常に先進的な建築でしたが、その分だけ当時の「技術」が追いついていなかった面もあったようです。大きなガラス窓の設置や平面の多い構造などは当時の施工技術では満足に仕上げられず、竣工後もサヴォア家の皆さんは雨漏りなどのトラブルに常に悩まれていたようです。そんな事情もあってサヴォア家はこの別荘をあまり使わなくなっていったようなのですが、決定打となったのは第2次世界大戦の勃発。ナチス・ドイツがフランスに侵攻してくるとサヴォア家は地方へ疎開、主のいなくなったこの家はすぐ近くの工場の監視施設としてナチス・ドイツに使われました。戦争終結後も米軍が接収し、サヴォア家に戻ったときには荒れ放題でとても住める状況になく、農業用の小屋として使われたのだそうです。
その後、ポワシー市がこの辺りに高校を作る話が持ち上がり、この建物も込みで土地がポワシー市に売却されます。このサヴォア邸も取り壊される筈でしたが、世界的に保存を求める運動が起こりました。その名声が既に世界中に知られていたル・コルビュジエの「傑作」とまで言われるサヴォア邸でも「じゃ保存しましょ」とすぐに決まったわけでは無く、数年の議論があったようで、とりあえずポワシー市の公共施設として遺すことになりました。ただ、それでも建物の傷みは激しく、フランス文化財センターの管理隣、長期にわたる修復作業の結果として、現在の美しい姿を取り戻すこととなった由。なお、隣の高校が「ル・コルビュジエ高校」なのも、この土地に由来してるんですね。
ちなみに、敷地の入口には「庭師の住宅」として建てられた小さな住宅があります。まるでサヴォア邸のミニチュアのような見た目ですが、「近代建築の5原則を庶民向け住宅に適用したらどうなるのか」という実験的な役割もあったよう。実際、この建物で得られた知見が「ユニテ・ダビタシオン」にかなり生かされているのだそうです。
結局、たっぷり2時間以上も見学に費やしてしまいました。またバスに乗ってポワシー駅へ戻ります。
ポワシーの駅前のバス停に到着。
駅の構内にも「サヴォア邸」への案内図が出てるんですね。
パリ市内への戻りはサン・ラザール駅行きのJ線にしたのですが、まさかの機関車牽引の客車列車。
ダブルデッカーの客車でした。