スゴい秘湯に泊まりました。
とりあえず昼食を。「道の駅おくとろ」がイマイチそそられない感じでしたが、少し離れたところに古民家カフェがある模様。和歌山県から県境を越えて三重県に入り、行ってみることにしました。
道路から坂道を上がったところにあるのが、この「古民家喫茶ちゃや」です。
店内は独特な雰囲気。
こちらの看板メニュー「じびえカレー」を戴きます。なかなか凝った盛り付けのサラダも付いて1200円。カレーはちょい辛目って感じかな。ルーは具材が溶け込んでいるタイプ、かなり濃厚な味わいでした。「じびえ」ということで鹿や猪なども使われているようですが、臭みなどは一切なし。おいしく戴きました。
食事のあとは「丸山千枚田」へ来てみました。規模としては日本最大級の千枚田らしいのですが、隣県にそんなとこあったんだ…。
なるほど、確かになかなか壮大です。ちょうど水田が青々と茂っている時期なので「一面の緑」ですが、田植えの時期とかだともっと見応えありそう。
ちゃんと駐車場つきの展望台もありました。
上から下ってくるともう一箇所、展望台があります。
ここには公衆トイレも完備。ストックは切れていましたが、英語版のチラシとかも置いてあったみたいです。
確かにコレは欧米人とかにウケそうな風景ですわ。
そのあとは国道168号を北上。今度は奈良県に入り、熊野本宮大社に立ち寄りました。
あ、ここって御社殿は石段の上だった…。
手水舎は使用停止中。新型コロナの影響がこんなところにも出てるのね。
国道から県道に入り今日のお宿を目指しますが、道幅の狭い道が続きます。
対向車が来たらアウトみたいな道を進んで、やっと着きました上湯温。この坂の上まで登っていきます。
今日宿泊するのは「上湯温泉 神湯荘」です。ここ上湯温泉では唯一の宿で「日本秘湯の会」の会員なのですが、もうガチに「秘湯」ですよこんなの。
チェックインはこちらで済ませましたが、自分の部屋はこちらの本館ではなく別館とのこと。
もう一段高いところに建っているコチラが自分の部屋のある別館です。もとは企業の保養所だったんだそうで、見た目は結構ボロい感じ…。それにしてもこんな山奥のアクセスが難儀な場所に「保養所」作る企業ってどこだ一体。保養させる気ないだろソレ。
外観はアレな感じですが室内は綺麗。畳や建具も新しい感じだし、清掃もバッチリ。非常に快適です。
窓から見える風景はこんな感じ。ホントに人里離れた山奥です。
河原の露天風呂が午後6時クローズだそうなので、先にそちらで入浴することに。宿からは坂道を下って距離があるので歩いて行くのはムリ、クルマで移動です。宿の浴衣でマイカー運転することになるとは。
河原の露天風呂は男湯は川沿いにあり、ちょっとインフィニティプールっぽい感じだったりして雰囲気は最高です。ただ、アブが多くて五月蠅かったんだよな…。
夕食はお食事処で戴きます。午後6時を目処に準備ができ次第、部屋まで電話で連絡してくれるので、ソレに合わせてお食事処へ行くような感じです。鮎の塩焼きに刺身、マグロの天ぷらの餡掛け、猪のしゃぶしゃぶなどをメインとした、割と充実した内容でした。
デザートは温泉水で淹れたコーヒーを使ったゼリーが供されました。晩ご飯、堪能できました。
ここ上湯温泉は泉質の良さで知られているんだとか。神湯荘も風呂が充実しており、内湯と露天風呂に加えて貸切風呂が2箇所あり、開いていれば自由に入れます。その貸切風呂の一つ「美肌の湯」へ。
ほどよく落ち着いて入れる広さ。お湯はやわらかく適温で長湯できそう。
もう一つの貸切風呂「癒の湯」。
こちらのお風呂はこんな感じです。
就寝前には露天風呂へ行ってみました。
ここも雰囲気あります。
一晩明けて翌朝。
明るい時間帯にもう一度、露天風呂に来てみました。脇には小さな川があり、せせらぎの音を聞きながらの入浴です。
朝食も用意ができると部屋に電話でお知らせしてくれます。
最後に内湯にも。
内湯といっても大きな窓があり、開放感はかなりのもの。なお、コチラの宿のお風呂、洗い場は内湯にしかありません。
宿をチェックアウトして帰路へ。国道168号をひたすら北上します。
そうか!北海道の「新十津川」ってココから来てたんだよな!
谷瀬の吊り橋に寄ってみたり。おそらく大阪近辺からと思しき観光客でかなり賑わってました。
五条に近くなると、沿道には謎の高架橋が登場します。
「専用道城戸」って、コレやっぱり旧五新線をバス専用道として使ってたやつだ!
五条から新宮までは鉄道路線が計画されていましいたが、建設半ばで中止に。既に完成していた路盤の一部をバス専用道として、2014年まで運行されていたんです。ここ城戸が五条からのバス路線の終点だったんです。運行が始まった頃は国道168号も整備が進んでいなかったので「バスを安全かつ早く走らせる」ために価値があったんでしょうが、既に国道がある程度改良された今となっては、わざわざ維持する必要もなくなった、というワケなんでしょうな。
五条の市街地に近づくと、専用道の入口も残っていました。
既にバスは走っていませんが、運行当時の標識などは一部残っており、当時を偲ばせます。