浜松で観光地巡りです。ちょっと普通じゃないトコばっかですが。
週末に豊橋へ行く用事がありました。ついでに浜松でいくつか行ってみたいところがあり、そっちを巡ってみようと思った次第。JR東海道線の鷲津駅前にある「ホテルくれたけイン浜名湖」で一泊しました。ロケーションとしてはホントに「駅前」。ただ駐車場が狭く、クルマで夜にホテルに到着したときには満車で、敷地外の提携駐車場に駐めることになってしまいました。
客室はごく普通の「ビジネスホテル」。
北側の部屋にアサインされたので、ちょっと浜名湖が窓から拝めました。
4月からの法改正もあり、アメニティ類は全てフロントにある棚から必要な分だけ持って行くようになっていました。
無料の朝食があり、1階のロビー横のエリアで提供されます。
無料とはいえ、なかなか充実した内容でした。カレーとかもあったし。
ホテルをチェックアウトしてクルマを走らせること約5分ほどで、今日の最初の目的地に到着しました。豊田佐吉記念館、あの「トヨタグループ」創始者の生誕の地です。
入口を入るとすぐ右手に小さな資料館があり、豊田佐吉の生涯が紹介されています。豊田佐吉が生まれたのは1867年。大工だった父のもとで小学校卒業から修行を始めますが、発明をするぞ!と一念発起。当時、この遠州地方で紡織が盛んだったこともあって織機の改良から手がけることにしました。
数多くの発明をした中でのマイルストーンとも言えるのが、この「豊田G型自動織機」です。世界トップクラスの性能を持ち、織機メーカーとしては当時トップ企業だった英国のプラット社が10万ポンドで特許権を買い取ったほど。トヨタグループの「祖」ともいえる豊田自動織機はこのG型製造・販売のために設立されましたし、この特許譲渡で得た資金は自動車開発のもとにもなりました。つまり今の「トヨタ」があるのはコレのおかげ、と言えるかもしれません。トヨぁ。タが織機メーカーから始まったこと、意外と知られてないような気がするなぁ。
この敷地は実はかなり広く、裏山まで含めて整備されています。佐吉が発明の研究のために使っていた納屋も残っていました。
これが佐吉の生家…ですが、1990年に復元されたものだそうです。ちなみに、この資料館は無料で開放されています。
お次は「スズキ歴史館」。これまた自動車や2輪などのメーカー「スズキ」の企業博物館で、スズキ本社工場の隣接して設置されています。土日も開館していますが予約制。
エントランスを入ると受付があり、ここで予約確認されます。小さいながらショップもあり、ココでしか買えないものも。
展示は3階から始まります。このフロアはスズキの歴史を紹介するコーナー。
展示エリアに足を踏み入れると、目に飛び込んでくるのは巨大な織機と「鈴木式織機製作所」の文字。なんと実はスズキも織機メーカーが祖業…ってトヨタと同じじゃん!
スズキの創始者は鈴木道夫。こちらも豊田佐吉と同じく大工からキャリアをスタートした人です。日露戦争で大工の仕事が減ったため、木工のノウハウが生かせる織機の改良を手がけるようになったのが始まりだそうです。鈴木道夫が取り組んだのは、遠州織といわれる格子模様の織物の織機。豊田佐吉の織機は単色織用だったので、直接の競合はなかったらしいとか。
スズキの開発した織機が多数展示されていました。
第二次大戦後は多角化の試みとして二輪車を造るようになります。空っ風といわれる強い風が吹く遠州で「自転車にエンジン付いてたらラクだよなぁ」と思いついた…と映像で紹介されていました。その最初の車種がこの「パワーフリー」です。
続いて本格的なバイク「コレダ号」を発売し、2輪メーカーとしての地位を確立。
そして戦前から計画していた自動車生産へ進出します。それが日本初の軽自動車「スズライト」、1955年に発表されました。外国車を手本にしたとはいえ、2年ほどで開発したというから驚きです。
当時の広告なども展示されていましたが「スクーター免許で乗れます」「検査がいりません」となかなかコワいことが謳われています。ホントに「軽」自動車、だったんですね…。
1961年には軽トラ「エブリィ」が登場。ビールメーカーとの提携などで販売していたそうです。
そこから発表された様々な四輪車や二輪車が並びます。
そしてこれが軽自動車の中興の祖ともいえる「アルト」。1970年代後半、軽自動車にも車検制度が導入され、価格も小型車との差が縮まるなど「軽自動車はオワコン」となりつつありました。それを打破したのが「アルト」で、お求めやすい「47万円」という価格でしかも全国統一(当時は輸送費が上乗せされて地域によって価格が違うのが普通だったとか)、増加する女性ドライバーを意識したつくりなどで大ヒットし、軽自動車が復権するきっかけを作りました。リアシートを簡素化して商用車扱いとしてコストだけでなく税金も安く済むようにしたり、という工夫も。「47万円」という価格は、当時の中古車の売れ筋価格がこのくらいだったというマーケティングの結果です。
発表当時の「47万円」の意味が分かるような展示も。同じスズキで販売していた軽自動車が65万円とかだったんですから、新車で47万円は相当お買い得に見えたんでしょうね。
今では軽といえばハイトワゴンばっか売れてる感じですが、考えてみたらその火付け役ともいえるワゴンRもスズキのクルマ。結構「時代を変える」プロダクトを出してるじゃないですかこのカイシャ。
2階では「クルマができるまで」を紹介するコーナー。普通は「クルマを”物理的に”作る」生産工程を紹介しそうなもんですが、こちらでは商品企画から始まっちゃいます。最初に「企画会議でこんなこと話し合ってどんなクルマを作るか決めます」ってソコから? デザインスタジオまで再現しちゃってます。
クルマのデザインを決めるのに大切な実物大のクレイモデルの制作。二輪車や船外機とかでもクレイモデルって作ることがあるんだそうで。
試作車ができたらテストへ。このシマシマな塗装、クルマのデザインのディテールが解らないように施されているという自動車スクープ紙みたいな情報も得られるよ。
で、やっと生産工程の紹介です。製造ラインの一部が再現されているんですが、スズキならではの合理化も図られていて、意外と見応えあります。
続いてはスズキの海外拠点を紹介するエリア。スズキってインドとかハンガリーとか結構渋い国に進出してたりするんだよね。ただインドは先見の明があったと思います。
最後は浜松や遠州地域を紹介するコーナーなんですが、遠州出身の「ものつくり」著名人のパネルもありました。考えてみたら豊田佐吉も鈴木道夫も遠州出身。ヤマハやカワイ、ローランドといった楽器メーカーも浜松だし…こんなに「凄い人」が集中してるのって、何かこの辺にヘンな地場でも出てませんか?
ランチは浜松の有名店「パピオット」へ、炭焼きハンバーグで知られるお店です。
あれどこかでみたような…と思った方、正解です。静岡で超有名なハンバーグのチェーン店「さわやか」にそっくりでしょ? 実はこの「パピオット」がそのご先祖様といわれているんだそうです。まだ「さわやか」が喫茶店だった時代、このお店の方がヘルプに入って出したハンバーグがコレで、「さわやか」でもそのまま提供されるようになった、というようなお話だとか。なお、「パピオット」ではソースはデミグラスがデフォだそうですよ。
昼食後は航空自衛隊浜松広報館」エアーパーク」までやってきました。
ここでのお目当てはコイツ。2019年に引退した初代の政府専用機の機内の一部が、ここに展示されているんです。
展示されているのはボーイング747の機首部分にあった貴賓室のインテリア。一番奥のソファはベッドにもなります。初代の政府専用機は1992年から運用されているのですが、もともとは「必要だから」というよりは日米貿易摩擦解消の一環としてという色合いも強く、自然とアメリカ製の航空機で当時としては最も長距離を飛べたB747-400に決まったような面も。ちなみに政府専用機は2機で運用されていたのですが、もう1機分のインテリアは小松空港近くの「石川県立航空プラザ」に貸与され展示されています。
お隣には機内にあった記者会見席とビジネスクラス相当のシートも置かれています。政府要人の海外訪問時にはメディアが同行することも多く、機内で記者会見をすることもよくあったようです。
まぁ勿論、ほかのエリアも見ていきましたけどね。
今日の最後の訪問地はこの「本田宗一郎ものづくり伝承館」です。「ホンダ」の創業者の本田宗一郎も出身は浜松で、ちょうどこの地域にあたります。やっぱ何かおかしくないか浜松。以前は天竜市庁舎だった建物が改装され、小さな資料館になっています。
展示スペースはそれほど広くありませんが、「本田宗一郎」という人物に焦点をあてた展示内容になっていました。
2階にはご本人が使っていた製図台も。規模はそれほどでもないですが二輪車の実車のコレクションも結構あるみたいですし、書籍なども豊富。ホンダファンなら一度は是非、って感じかも。
名古屋へ帰る前に天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅に寄ってみました。
この駅は昨年公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に登場する「第3村」のモデルとされています。
この駅には元祖ブルートレインの20系客車がなぜか保管されており、その状態が気になって来てみた次第。「天竜レトロトレイングラブ」という団体がきちんと管理や補修を行っているようで、非常に綺麗な状態が保たれていました。