京都といえば古都。昔ながらの歴史ある伝統的な神社仏閣や古い街並みが魅力…なんですが、実はけっこう「モダン建築」の宝庫だったりします。そんな明治以降の名建築を一斉に公開しちゃおう!と2022年に始まったのが「京都モダン建築祭」。3回目の開催となる今年は11月の10日間にわたって45の建築が公開されることになりました。その前半日程に行ってきたので、と。
最初にやってきたのは京阪の神宮丸太橋駅にほど近い「毎日新聞京都ビル」。
1999年竣工で設計者は若林幸広。この方、南海電車の関空特急「ラピート」もデザインしてます。いま三条通にある「1928ビル」が元の「毎日新聞社ビル」だったそうなんですが、そこにあった天井の円いホールをここでも再現するために、こんな円い天井になったんだとか。なんかミシンとかの機械みたいです。
ここは期間中3箇所に設置される建築祭のインフォメーションセンターの一つにもなっています。ここは若林幸広設計事務所が入居していた部屋だそうですが、今では京都でローカルガイドツアーなどを行う「まいまい」の事務所になっています。オンラインで購入したチケットを紙製のチケットに引き替え、ガイドブックを貰いました。
吹き抜けになった階段室も見どころの一つ。京都って、なぜかこういう「突き抜けた」ような建築も不思議と受け入れられてるんですよね。京都駅だって、あの前衛的なデザインが古の都の玄関口として建っちゃってるの、実はすごくない?
続いて「島津製作所 創業記念資料館」です。普段は土日祝日と水曜日はお休みで入館には事前予約が必要ですが、「京都モダン建築祭」にあわせて土日に予約不要の一般公開が行われました。
島津製作所は京都で操業した、精密機器や計測機器、医療機器などを製造する会社。1909年に日本で始めて医療用のX線機器の開発に成功しましたが、入館して最初のエリアではそれを中心に展示しています。
奥の方には旧本社屋にあった住居も保存されています。2階もあって、島津製作所がこれまで作ってきた様々な製品を展示し、会社の歴史を紹介。戦前には学校の理科室にあったような人体模型とかも作ってたんですね…。1875年に初代の島津源蔵が操業したこの会社、京都市もかなり後押ししていたそうです。なんで?ってのはまた後ほど。
続いて「京都御幸町教会」。近江で活躍した建築家、ヴォーリズ設計です。
竣工は1913年。プロテスタント教会らしく、装飾が抑えられた内装が特徴的です。右手には集会室のようなスペースがあって、小さなバザーが行われていました。地域のコミュニティセンター的な位置づけもあるんでしょうね。
そして京都のモダン建築において「ラスボス」的な存在なのがこの「京都市役所」です。竣工は1927年、京都市営繕課が設計しました。ネオバロック様式の、いかにも行政府らしい堂々とした佇まいですが、よく見ると日本風だったりアジア風だったりイスラム風だったりと、様々な様式が何だかいろんな要素が取り込まれています。これが京都のモダン建築の一つの特徴。明治になって天皇が東京へ移っていった後、京都は衰退の一途を辿ります。琵琶湖疏水の建設も京都経済の再興のためでしたし、島津製作所への京都市による後押しもその一環だったようです。建築においても、「新しい京都のアイデンティティ」を模索するような流れがあり、そのなかで世界の様々な様式を混ぜるようなデザインが数多く残ることになった、らしいです。
中央玄関から入った大階段のロビーも、アーチがちょっとアラブのドーム風だったり。こうして「世界の様々なものを取り入れるのがこれからの京都だ」と表現したかったのかも? 日本ではこのあとの1930年代、洋風建築に日本風の屋根を載せた「帝冠様式」が流行し、京都でもこの少し後に建てられた「京都市京セラ美術館」はその流れに乗ったデザインになっています。京都市役所ももう少し建築時期が遅ければお寺みたいな屋根とかになってたのかしら。
そのほか、議場も見学できました。
創建当時に復元された4階の「正庁の間」。現在は各種式典や来賓の歓迎会などで使われているそうですが、この部屋も様式がいろいろ混ざってる。
ヒルトン京都の隣に建つ「カトリック河原町教会」。1967年に竣工、カール・フロイラーと富家宏泰の設計によるものです。1890年に竣工した初代の聖堂はなんと愛知の明治村に移築されていました。
高い三角の屋根と正面のステンドグラスが印象的。左右の窓のデザインはちょっとコルビュジエ風です。
そこから「先斗町歌舞練場」へ。劇場建築で活躍した大林組の木村得三郎による設計で、1927年竣工です。
「鴨川をどり」の会場となる劇場も中に入って自由に見学できました。
ステージにまで上がれちゃうのね。
このあたりで朝から降っていた雨が土砂降りに。仕方なくロビーで雨足が弱まるまで時間潰しをさせてもらいました。
今度は京都駅前エリアまでバスで移動、東本願寺へ。
東本願寺でモダン建築?ってあるんですよ実は。1998年に竣工した「視聴覚ホール」は東本願寺の敷地内の地下に埋まるように作られました。設計は高松伸。まさか京都の歴史ある寺院の一角にこんなモダンでとんがった建築があるなんて、ちょっとビックリでしょ。
円筒の中はホールとなっていますが、壁面に天井から光の帯がおりてくるようなデザインが少しだけ宗教施設っぽい雰囲気を出しているような。
その後は東本願寺の関連施設として1930年に建てられた「重信会館」。バリバリのアールデコ様式、京都でこれだけストレートにアールデコ、って意外となさそうな気がする。
エントランス入ってすぐにある階段の丸い意匠がお洒落。
今ではイベントなどでごくたまに使われる程度らしいのですが、東本願寺が母体の大谷大学の学生寮として使われていた時期もあったそうです。このときも「昔ここに学生時代に住んでました」って来訪者がいました。
これは「京都モダン建築祭」での公開建築ではありませんが、京都のモダン建築としては結構有名な「富士ラビット」ビル。1925年竣工で自動車販売会社として建てられ登録有形文化財にまでなっていますが、1階に入るテナントが「なか卯」ってのがなんか凄い。「ラビット」と「卯」繋がりとか?
東本願寺から歩いて10分ほど、西本願寺近くの龍谷大学大宮キャンパスに到着。
この大宮キャンパスに残る5つの建物、なんと国の重要文化財に指定されているんです。
竣工は1879年でいかにも洋風建築ですが、作ったのは日本の大工。本格的に西洋建築の技術が日本に入ってくる前に日本の職人が見よう見まねで仕上げた、いわゆる「擬洋風建築」というやつなんです。石造りのように見える本館も実は木造建築にモルタルや石版を貼り付けて「それっぽく」仕上げたもの。ただ、龍谷大学って西本願寺の学校なんですよね…。そんな学校の建築がまだ未知ともいえるような様式建築の様式を選んだ、というのは何か象徴的。日本の仏教が文明開化と同時に世界的な宗教に変化しようとした現れなのかもしれません。
本館内部は撮影不可でしたが、南館・北館はOKでした。
南館は当初は畳敷きの寮として使われていたそうで、一部の部屋は当時に近い形で再現されています。窓の位置が妙に低いのは畳敷きの部屋だった頃の名残なんだとか。
そこから少し歩いたところにある「元淳風小学校」。1931年竣工で、明るいスパニッシュスタイルが特徴です。小学校としては2019年に閉校し、今ではスタートアップ企業向けレンタルオフィスや公民館的な施設として使われているそうです。内部は撮影NGでしたが、小学校時代の面影がかなり残っていました。
「顕道会館」は日本で初期の鉄筋コンクリート構造の普及に大きな役割を果たした増田清の設計により1923年に竣工。他の有名どころだと広島の平和記念公園にある広島市レストハウス(もとは呉服店だった建物のはず)も増田清の作品でした。年代的に少しアールデコの影響が感じられます。
今では西本願寺の京都教区教務所として使われていますが、内部は鉄筋コンクリート構造を生かした柱のない広々としたフロアが広がっています。
2階は屋根のアーチが緩くカーブを描いており、1階に比べると宗教施設っぽさが多めな印象です。
そして本日最後のスポットが「本願寺伝導院」です。建築家にして建築史家、独特の様式の建築を数多く残した伊東忠太による設計で1911年に竣工しました。もともとは西本願寺が創設した生命保険会社の本社屋として建てられましたが、なんといっても「珍妙」としか言いようのない様式がお見事。イギリス調を基本としながらもインドっぽいドーム、所々に見える和風の輪郭の窓など、これまた「ごちゃまぜ」です。内部の撮影はNGでしたが、中身は意外と一般的な「洋館」の佇まい。タダ、意匠の所々にヘンに和風だったりアジア風だったりする部分が混じってるので油断できません。
少しだけ西本願寺境内を散策してきました。実はウチの家系、浄土真宗本願寺派だったのが数年前に判明したのですよ(自分が知らなかっただけか)。
夕食もモダン建築で、といきたいところ。1913年創設の京都の老舗洋食店「レストラン菊水」で戴くことにしました。
ビーフシチューなども名物なのですが、クリームコロッケやハンバーグなど色々楽しめる「ハイカラセット」にしました。
食後の一休み?でこれまた京都の老舗喫茶店「フランソア喫茶室」へ。1934年開業だそうな。
プリンとコーヒーのセットを注文。固めのクラシカルなプリンがいいね。