へんな旅ばかりしています。

へんな旅をしているようなので、自分のための防備録的にやってみます。

こんな歴史も大切に、「URまちとくらしのミュージアム」見学。

なかなか予約が取れません。

 

山の上ホテル」をチェックアウトし、赤羽へやってきました。

 

赤羽駅から歩いて10分もかからないくらいの丘の上にURの賃貸住宅「ヌーヴェル赤羽台」があります。今日のお目当てはこの一角にある「URまちとくらしのミュージアム」。昨年9月、UR=独立行政法人都市再生機構がオープンした、集合住宅や都市計画の歴史を紹介する施設です。

 

ここは以前は「赤羽台団地」と呼ばれ、URの前身である日本住宅公団が造成しました。老朽化が進んだことから2000年から建て替えが進められ「ヌーヴェル赤羽台」と名前も変わりました。エレファントカシマシ宮本浩次が育った場所でもあるらしいですね。

 

すっかり新しいマンションとなった中、いかにも「公団住宅!」といった佇まいの建物が。

 

その近くにはこれまた公団住宅の団地でよく見かけた「スターハウス」もあるじゃないですか。箱形団地に比べて地理的制約が少ない、居室の三方が外に面するので通気性がいい、団地の景観に変化を与えられる等々の利点から作られましたが、建設費が高いとか隣家と近くてプライバシーに問題がある等の問題もあって次第に採用されなくなり、今では殆ど残っていません。その貴重さから、先ほどの団地建築とともに国登録有形文化財に指定されました。

 

その近くにあるのが、「URまちとくらしのミュージアムミュージアム棟です。こちらの見学はガイドツアーに参加する必要がありますが、ツアーは1日3回実施で各回20名が定員。しかも水曜と日曜、祝日はお休みなので、かなり狭き門となってなかなか予約が取れないんですよ…。今回は「山の上ホテル」に泊まるタイミングで運良く確保できた次第。ツアー開始時間になるとまずツアーや見学に関する説明や注意事項が伝えられ、URの歩みに関するビデオを鑑賞します。

 

その後、1階から4階までエレベーターで上がり、復元住戸の見学がスタート。こちらでは日本の集合住宅や都市計画において重要なマイルストーンとなった4つの団地の居室が復元。保存されているんです。最初に見学するのは「同潤会アパート」。同潤会関東大震災からの復興の一環として1924年に設立された財団法人で、東京と横浜に16箇所「同潤会アパート」を建設したことで知られています。同潤会は今のURとは直接的な繋がりはなく、「日本初の鉄筋コンクリート集合住宅」としては軍艦島のほうが先ですが、それでも計画的な都市開発と大規模な鉄筋コンクリート造の団地建設という面ではエポックメイキングな存在であることから、ここで大きく取り上げれているようです。

 

ここで復元されているのは代官山の同潤会アパートのうち2種類の住宅。こちらは単身者向けとして用意された部屋です。

 

風呂もトイレもない一部屋だけの間取り。

 

玄関側に押し入れ風に用意されたベッド?がちょっとイイ感じ。団地に独身者向けの部屋?って気がしますが、同潤会アパートは街区まるごと再開発し、難燃性の住宅を供給することを目指していたため。同じ街に様々な人が暮らすコミュニティが形成されるよう、ファミリー向けだけでない住宅の供給が行われたわけです。コミュニティ形成という点では団地内に銭湯や食堂があったり、井戸端会議が出来るような場所が多数用意されていたりと住民同士の交流を促すような仕掛けも多数あったそう。

 

こちらは世帯向けの住宅。

 

和室2室に台所、お手洗いという間取りです。

 

室内はすっかり和風の設え。

 

同潤会アパートでは日本で団地を建設するにあたり様々な新しい技術的な試みも取り入れられていました。床面は畳ではなく、コルクに畳風のシートを引いたものですが、洋風の暮らしにも対応できるように考えられたもの。ただコルクは当時輸入品しかなくコストは高かったらしいですが…。なお同潤会はその後、1941年に設立された住宅営団に引き継がれました。ただ住宅営団は戦時中の設立のうえ軍需産業への住宅供給も行っていたことからGHQから解散命令を出されてしまいます。同潤会アパートを含む賃貸住宅は居住者に払い下げられることになりました。分譲マンション化したことで合意形成が困難だった面もありそうですが、2013年を最後に同潤会アパートも全て取り壊され再開発されてしまいました。

 

お次は戦後。戦後復興期に不足する住宅を大領に供給する必要に迫られ、1955年に日本住宅公団が発足しました。その日本住宅公団が開発した初期の団地のうち画期的なコンセプトを導入したものの一つがここ「蓮根団地」です。

 

蓮根団地の完成は1957年。玄関周りは今の住宅に比べてもそれほど違和感がありません。

 

蓮根団地は「ダイニングキッチン」が導入された初期の団地となります。当時の日本ではちゃぶ台で食事し、夜はそれを片付けて掃除して布団を敷いて同じ部屋で寝る、というスタイルが一般的でした。そりゃ片付けの手間が大変じゃん!食事場所と寝る場所を別の部屋にすれば主婦の仕事減るよね?という「寝食分離」という考え方を提唱。それを実践するためにこのダイニングテーブルは作り付けの標準装備として用意されていたというから驚きです。あまりの使いやすさに引っ越しの際に一緒に持って行こうとする居住者も後を絶たなかったとか。

 

居室は和室が2室。ベランダには収納庫が用意されています。

 

風呂とトイレがついていますが、風呂場の洗面台のシンクがもの凄く深くなっています。この写真だと簀の子で底上げされていますが、洗濯での利用を想定したものだそうです。まだ当時は洗濯機が一般的ではなく、ここで手洗いしていたわけですね。そのため団地内に洗濯機を置く想定のスペースが用意されていません。そういえばダイニングキッチンも冷蔵庫を置くようなスペースがないんですよね。

 

その次が1957年竣工の「晴海高層アパート」です。当時としては未曾有の高さだった10階建てで、エレベーターが設置されたのも公団住宅としては初のものでした。

 

3層6戸分をワンブロックとした「メガストラクチャー構造」が特徴で、当初は1階はピロティとして解放される構想でしたが深刻な住宅不足解消が目的だった公団住宅にそんな贅沢な空間利用が認められるわけもなく、しっかり住戸が設置されました。

 

エレベーターは各階には停まらず、1階・3階・6階・9階だけ停まるスキップフロア形式。

 

実際に使用されていたエレベータも保存されています。スキップフロアになったのは当時まだ高価な存在だったエレベーターのうち「ドア」のコストが高く、それを極力減らすため、ではないかとのこと。なおエレベーターのカゴ内の撮影はNGでしたが、使用されていた当時のまま保管されているので、ちょっとお上品とは言いがたい落書きとかが、ね…。修復すればいいんだろうけど、保存という観点からはそう簡単じゃないでしょうし。

 

ここでは2種類の住宅が復元されています。最初はエレベーターが停まるフロアにあった住戸。外廊下が非常に広く感じますが、これも住民同士の井戸端会議の場所となることを意図したものだそうで。手すりが巨大ですが、初の高層アパートということで普通の金網とかじゃ落っこちるんじゃないか、と心配だったのでこんな形になった模様。壁面には電話が設置されていますが、なんとコレ外線に繋がる電話機なんです。まだ固定電話が一家に一回線というワケではなかった当時、電話がかかってくると各住戸に通知が届き、ここまで電話に出るために出てきていたそうです。

 

さて、ここまで「なんかどっかで見たような…」と思った方、いませんか?

ソレ、多分コイツです。

slips.hatenablog.com

 

この「晴海高層アパート」の設計者は前川國男。日本の近代建築の巨匠であるだけでなく、世界三大建築家といわれるル・コルビュジエの日本の一番弟子と言われる建築家です。もしかしたら日本でも師匠の作ったユニテ・ダビダシオンみたいな集合住宅を作ってみたかったのかもしれません。

 

slips.hatenablog.com

 

考えてみればフランスのユニテ・ダビダシオンも3フロアを1つのユニットとする構造でした。あちらは2フロアのメゾネットスタイルでしたが、さすがに1950年代の日本の公団住宅で採用できるような間取りではないですね…。エレベーターをスキップフロアにしたのも、もしかしたら師匠の真似をしたかっただけだったりして。

 

ただお部屋は和室。ただベランダのある窓側にちょっと腰掛けられるような棚があるあたり、ちょっとユニテ・ダビダシオンっぽい雰囲気です。

 

台所はステンレスと、当時としては高級品。なんせ家賃が今の物価だと月25~30万くらいだったそうですからね。銀座や丸の内などにお勤めのエリートサラリーマンの家庭や芸能人などが多く入居していたとか。

 

トイレが様式なのも当時としては珍しかったはず。

 

続いて、エレベータが停まらない階にあった住居。階段でワンフロア上下してアクセスします。

 

ダイニングキッチンに和室が2室という間取り。ただこのフロアには外廊下がないため、双方向に大きな開口部が取られているのが特徴です。

 

こちらはベランダ側。ここにもベンチ?棚?らしきものが。

 

キッチンの方向。脇のスペースは冷蔵庫の設置を想定したものかも、との説明でした。それなりの高所得者が入居することから、そうした贅沢品も持っていたのかも、ですね。なお配管が剥き出しなのは当初から。隠すよりは出した方が広く見えるから、だそうな。

 

ダイニングテーブルの上にはル・コルビュジエを意識したのかモデュロールの絵が飾られていました。

 

復元住戸として最後に見学するのが「多摩平団地テラスハウス」です。郊外では住宅開発も団地ではなく長屋スタイルが用いられており、1958年に入居が始まったこちらは初期の典型例となっています。

 

2階建ての住居が横に6戸繋がって並ぶ構成でした。

 

2階は見学できませんでしたが、1階は自由に見てまわれます。こちらには居間が一部屋。

 

台所はこんな感じですが、勝手口があるのが集合住宅の団地と違うところかも。

 

最後に都市計画としての団地の変遷や、住戸に使われる様々な備品等の移り変わりの展示コーナーに案内されます。住宅不足の解消のために住宅をとにかく供給することが目的だった日本住宅公団も、住宅不足が解消されると「住環境の向上」に目的がシフト。1981年に住宅・都市整備公団へと改組されます。そして過去に開発した団地等の再生が大きなテーマとなってきたことから、現在の都市再生機構へ変わりました。なんせ英文名が「Urban Renaissance Agency」ってルネッサンスかーい。確かにここでは、住宅開発の目的が変わってきたことで団地のレイアウトが変化したり設備等が変わっていった変遷も見ることができ、なかなか興味深いです。

 

見学時間は2時間弱。でも屋外にも展示物があったりするんですよ。この円筒形の謎の物体、先ほどみた「晴海高層アパート」に設置されていたもの。エレベーターがスキップフロア形式でしたが、当初は2階には3階までエレベーターで上がって階段でワンフロア降りてアクセスする構成でした。でもソレって無駄じゃね?と竣工前に気がついて、2階へ直接あがれる外階段が設置されることになったんだそうです。その外階段がコレです。中は螺旋階段となっており、2住戸で1箇所の階段を共用していました。

 

昔ながらの団地の向かいに今風のマンション。外の敷地に保存されている団地は内部見学はできませんが、大学との共同研究に使われたりしているようです。今後は公開される可能性もあるような感じだったので、ちょっと楽しみ。

 

名古屋への戻りは空路の利用。

 

JALセントレアまで飛びました。

 

夏スケジュール期間にB777などが投入されていた頃はいつも遅れている印象でしたが、冬スケジュールではB737が使われ,かなり時間通りに飛んでくれています。

さよならの東京、「船の科学館」&「相田みつを美術館」へ。

山の上ホテル」宿泊の週末、ちょうど「この週末で最後」なものがいくつかありましたので巡ってみます。

 

今回の状況はJALで飛びました。朝7時過ぎにセントレアに到着。

 

保安検査場はコロナ前でもなかなか見かけなかったような大行列になってるじゃないですか! 時間が迫った便のお客から順次優先案内をしているのですが、ANAのスタッフは数人忙しく動き回っているのを見かけるものの、JALの職員は見かけません。羽田行きの出発時間の旅客の優先案内が始まりましたが、保安検査場の通過は出発20分前を少し切った時点でした。まぁなんとか乗れましたけど…。

 

保安検査通過後はゲートに直行。いつもならアンケート「空旅リサーチ」でドリンク貰うのに、今日はその余裕はナシ…。

 

そんな状況でしたが、出発はほぼ定刻でした。

 

今日は富士山が綺麗に見えます。

 

羽田への着陸前も横浜の街並みの向こうにクリアな富士山が。

 

羽田からはリムジンバスでお台場まで移動しました。

 

ゆりかもめ」で東京クルーズターミナルで下車します。駅のホームから見えるのは2011年に閉館した「船の科学館」。建物はそのまま残っていたのですが,今年2月から解体工事が始まることになったので、最後の姿を拝みに来たわけです。

 

この客船のような建物は1974年に開館しました。実は当初は実際に引退した客船「クイーンエリザベス」を購入して展示する構想で、実際に交渉まで行われていたのですが、1960年代当時の当時の日本の外貨準備額ではそれだけ巨額の買い物を海外で行うのは無理、とこの計画は断念されます。「クイーンエリザベスⅡ」を模したと言われていますが、当初計画の名残なんですね。開館当時のお台場なんて建物がコレくらいといった状況で、永らくこの特異な姿は湾岸エリアのランドマークでした。

 

船の形の本館の展示は終了していますが、別館展示場と屋外展示はまだ行われています。

 

大きな本館の脇に小さな建物。

 

別館展示場はこちらです。

 

広いスペースではありませんが、展示内容は多岐にわたります。

 

お隣の展示「宗谷」に関するもの。

 

日本の領海や国境の島々、海上保安庁の紹介など。

 

海運に関するものもありました。

 

なお本館ですが、一部立ち入りが可能でした。この付近のお手洗いとして、本館内1階のトイレが使えるようになっていたんです。エントランスはなかなか豪華な作りで、かなり気合いの入った施設だったことがわかります。

 

本館屋外の片隅に、なんか何処かで見たような像が…。

 

屋外にも恐らく日本の船舶の歴史上はそれなりに貴重と思われる展示があります。本館解体後はどうするんだろう?

 

こちらに銅像。恐らくアラフォー・アラフィフの皆さんには懐かしい「日本船舶振興会」の笹川良一のCMのやつだ! 「一日一善」とか「お父さんお母さんを大切にしましょう」とか、よくテレビで流れてたもんなぁ…。そもそも「船の科学館」も「日本船舶振興会」が構想したものですからね。1956年には世界一の造船国になった日本に本格的な船舶に関する博物館施設を、ということで計画されたそうです。なお「日本船舶振興会」、今の「日本財団」ですからね。競艇の儲けで色々やってるトコは変わってないけど。

 

なお、「船の科学館」の展示物の一つとなる「南極観測船 宗谷」は、今後も展示が続けられます。

 

「宗谷」が係留されている岸壁には大きなスクリューが展示されています。2012年までここに展示されていた「青函連絡船 羊蹄丸」のものです。

 

昔の写真を漁ってみたら、ここに「羊蹄丸」があった頃を写したものがありました。東京クルーズターミナルを建設する際に「宗谷」が今の場所に移設されています。

 

こちらは入場無料。寄付は求めていますが、カネとってもいいと思うよ…。競艇の儲けがあるから大丈夫なのか?

 

順路に沿って船内を見学。

 

こちらにも南極観測や南極に関する展示があります。この「宗谷」という船もなかなか波瀾万丈な経緯を辿ってまして、進水は1938年のこと。ソ連から発注を受けた砕氷能力を持つ貨物船として建造されながら戦争激化でソ連に引き渡されず日本で貨物船として使われ、戦時中は徴用されて軍の輸送艦になります。戦後は引き揚げ船として使われた後に海上保安庁灯台補給船として活躍。そんな中、1957年の国際地球観測年にあわせて日本も南極観測に参加することが決定します(これも欧州各国からは「日本が国際的な活動に復帰するのは許さん」的な反対があったところアメリカとソ連の賛成でオッケーになったそうな)。ただ日本には南極観測に参加できるような船がない!ということで「宗谷」を改造して仕立てる、ということになりました。その後、1961年まで6回の南極観測を行っています。1962年からは海上保安庁に戻り1978年まで巡視船として使われ引退、ここ「船の科学館」で展示されてることになったワケです。

 

日本の南極観測といえば「タロとジロ」ですかね。悪天候のために越冬隊を送り込めず、やむを得ず連れて行った樺太犬を残して帰国することになったワケですが、当時も「なんで犬を置いてきたんだ」とかなり非難されたそうで。最近、大きな飛行機事故でも「ペットを置き去りにするなんて」とかってハナシがあったな…。そりゃ動物も大事ですけど、人の命にはかえられないよね、と。ちなみに生き残っていたタロとジロですが、シロは南極で病死しており、日本に帰れたのはタロだけでした。

 

ブリッジも見学可能。これではるばる南極まで行ってたの凄いな。

 

「宗谷」には広いデッキが設置されていますが、ヘリコプターの発着のためのもの。悪天候時にヘリコプターでの輸送が効果的だったことからヘリコプター4機に小型機1機を搭載するように改造された結果です。

 

翌日はこれまたこの日が最終日だった国立西洋美術館「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観覧。

 

1900年代初頭に芸術家がみんなハマったとも言われる「キュビズム」。1920年代には伝統的な回がスタイルに戻ったり更に先鋭的になったりして「キュビズム」ブームは沈静化しますが、最後にオチが着いてたのがこの特別展。この国立西洋美術館の設計者であるル・コルビュジエは元々画家としてキャリアをスタートしていますが、キュビズムを更に進化させた「ピュリズム」の提唱者でもあるんです。キュビズムがピュリズムを産み、ピュリズムを産んだ建築家の作品の中で展示されてるの、なんかエモくない?

 

続いてやってきたのは東京国際フォーラム地下にある「相田みつを美術館」。

 

こちらも今日、2024年1月28日で閉館します。相田みつをといえば「にんげんだもの みつを」とかで知られ、いろいろとコスられることも多いですが「そもそも何者?」って意外と知らなかったりしません? この機会にちゃんと知るのもいいかな、と思った次第。それにしても閉館発表は1月の中旬と直前。「建物の修繕のため」とされていますが、開催中の企画展のパンスレットには次回企画展の予告が出ていたりと「一体何があったんだ」という感じではあります。

 

館内は作品の撮影は禁止。相田みつをはもともと書家として高く評価されており、初期の端正な筆致の作品も展示されていました。その後、もっとわかりやすい自分のコトバで書を書くと言うスタイルとなり「書家で詩人」といった珍しい存在になりました。独特の書体で書かれた言葉はどれもシンプルでストレート、時にはあけすけに正直なことも書いています。ご子息の方が館長をされており、作品には館長のコメントがついているものが多数。中には「お金が全てじゃないと言うけどやっぱあった方がいいよね」みたいなのもありましたが、館長の「素直でいいけどこんな言葉の書を買いたい人いないよな、って売れなかったから手元にあるんだろうけど」というコメントも秀逸でした。雰囲気もちょっと里山風だったりして、なかなかいい感じ。ここが閉まってしまうのはちょっと勿体ないなぁ。

「山の上ホテル」宿泊記。

奈良ホテル」に泊まったあたりから「クラシックホテル」にちょっと塡まり、コロナ禍で宿泊料金の相場が下がったのもあって色々と泊まってきました。その中でなかなかチャンスがなかったのが「山の上ホテル」。このホテル、老朽化を理由に2024年2月に一時休館を発表しました。再開は未定とのことなので今のうちに泊まっておかないと二度とチャンス来ないかも!とニュースを知ってすぐに予約を確保しました。もともと客室数が多いホテルではないので、すぐに満室になっちゃったそうですが…。

 

山の上ホテル」は御茶ノ水駅から徒歩5分ほど、明治大学に囲まれた一角に建っています。開業は1954年と比較的新しく、歴史という面では帝国ホテルや東京ステーションホテルほどではなかったりします。それでもニューオータニやオークラより前で、東京にまだ「ホテル」が少なかった頃ではありますが…。ただ、この建物は1937年に完成したもの。「佐藤新興生活館」として、近江で活躍した建築家であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計しました。戦後はGHQに接収されましたが、解除後にホテルとして営業を開始。アールデコ様式が美しい建物もこのホテルの見どころの一つでもあります。

 

ドアマンの常駐するエントランスからホテルへ。

 

ロビーやフロントは比較的コンパクト。周囲に出版社が多かったという立地から、編集者が作家を缶詰にするのによく使われていたこのホテル、担当作家の原稿が仕上がるのを待つ編集者でごった返すこともあったんだとか。

 

チェックインを済ませ、エレベーターで5階へ。

 

階段もありますが、金色の優雅な手すりが印象的。戦時中は金属ということで供出されてしまい、あとで復元したものです。

 

このホテル、部屋数はわずか35室。5階のフロアにもこれだけしか客室がありません。

 

階段室の最上階の天井にはステンドグラス。

 

上から覗くと螺旋状の階段が美しい。

 

アサインされた客室へ入りました。入口脇にはクローゼット、正面はバスルーム。お部屋は右手にあります。

 

シングルルームの室内はこんな感じ。

 

窓側にはライティングデスクと化粧台を設置。

 

こちらにもチェアとテーブルがあります。

 

こちらがバスルーム。

 

アメニティには「山の上ホテル」のロゴが入っていました。

 

ホテルの地下1階には歴史を紹介する展示があります。

 

このホテルを定宿とした文豪の皆さんの紹介も。

 

こちらはホテルの昔のメニューやパンフレットなどが展示されています。開業初期の広告には「なんかボラれそうとか思われてるようですが大丈夫!一度来てみて!」みたいなのもあって、時代を感じさせます。

 

そのほか、ロビー周囲にもいろいろな展示があって見ていて飽きません。設計図面とかも飾られてました。

 

ホテルの規模の割には飲食店の数が多いホテルですが、休館間際ということでどこも既に予約で満席。予約なし営業のコーヒーパーラーも既に本日分の整理券配布は終わっていたため、夕食は外で食べることになりました。

 

神保町の本屋などをぶらぶらしながら良さげなお店を探してみましたが、こちらから漂うごま油の香りに引かれ「天麩羅はちまき」へお邪魔しました。

 

からっと軽やかに揚がった天麩羅はお手頃価格ながら美味。

 

ホテルへ戻ります。明大通りに設置されたホテル看板にも灯りが。

 

夜のホテルの姿も絵になります。

 

ホテルのサインが光ってるのもなかなか味がありますな。

 

フロントそばには小さなバーがありますが、こちらも大盛況。空きを待っているお客さんがロビーに溢れているような状態なので訪問は断念しました。

 

翌朝ロビーに降りてみると凄い行列ができています。地下1階のパーラーの整理券を待つお客さんが早朝から列を作って待っている様子。整理券の配布開始からすぐに本日分の枚数を配り終わったようで、11時半の開店前に「本日の受付終了」の表示が出ていました。

 

もうちょっとホテル周囲をお散歩。建物を眺めてみました。

 

このホテル、なかなか複雑な地形のところに建ってます。エントランス側は1階がロビーですが、このトラックが停まっているあたりには地下1階へ繋がる入口があります。パーラーやレストランが多く配置されているのがこの階。坂を下りきったところに地下2階へのドアがあり、こちらはワインバーになっていました。

 

11時過ぎにチェックアウト。ショップでステッカーを買おうと思ったのです、こちらも凄い行列です。どうもレストランなどには入れないかわりにホテルメイドのケーキ等を手に入れようという方も多いようで…。昨日の夕方は誰も並んでなかった(もうケーキとか売り切れだったからね)ので、その時に買っておくべきだった! 30分ほど並んでいるうちに「せっかく並んだんだからケーキくらい買わないと勿体なのでは?」という気持ちになってきました。

 

そんなワケで買っちゃいました。

 

すぐそばの明治大学アカデミーコモン1階のフリースペースでご開帳。

 

チーズケーキとプリンを購入しました。チーズケーキは最後の1個で、非常に滑らかで旨い。プリンも固すぎず柔らかすぎず,といった感じです。

 

せっかくなので地下の博物館も見ていきましょう。こちらは阿久悠記念館。阿久悠明治大学出身だそうですが、様々な賞のトロフィーなど貴重な展示品も多数あって、なかなかの充実ぶりでした。

 

以前は「明治大学刑事博物館」というのがあった筈なんですが、今では他の展示も加わって「明治大学博物館」となっているようです。

 

ギロチン台や「鉄の処女」は健在。さすがにコレ、実物ではなくレプリカなんですね…。

4年ぶりのソウル食い倒れ、その2:青瓦台に冷麺にソルロンタン。

今日もいろいろ食べます。

 

東横INNには3泊しましたが、初日はツアー参加で朝7時出発、最終日も朝便で帰国なので5時起きと、無料朝食にありつけるのは今日だけです。メニューは毎日変わるようですが、この日はカレーがありました。真っ黄色の韓国っぽいカレー、なんか好きなんだよね。

 

ソウルの観光地はあらかた行ってるような気がしますが、今日は青瓦台へ行ってみました。ここは韓国大統領府、だったところ。今の尹大統領が大統領府の移転を公約としていたことから。昨年5月から公園として一般公開されました。

 

見学は無料ですが基本的には予約制。ただし外国人観光客はまだ予約ができないため、こちらの窓口で当日枠で申し込むことになります。一度に入場できる人数が決まっており、混み具合によっては待たされることもありそうです。このときはすんなり入れました。

 

入場には簡単な手荷物検査があります。

 

入場して目の前に見えてくるのが大統領府です。

 

内部まで見学できて写真撮影も自由。そんなのセキュリティ的にオッケーなの?と思いましたが、もうここは「大統領府」じゃないからいいのか…。韓国の大統領は言々が大きく、青瓦台八草の権力の象徴のような存在でした。一応は「停戦中」の国の最高権力者のいる場所でもあることから保安上の理由で地図に載っていなかったり、周囲の道路が通行止めにされていたりもしたそうです。尹大統領の狙いは「国民に近い大統領」イメージの訴求、と言ったところの様子。まぁ敷地が広すぎて執務に支障が出ることが以前から課題だった、という事情もあるようですけど…。なんせ秘書官などの執務室は別の建物にあって徒歩5分とかだったらしいですよ。

 

エントランスホールには2階へあがる大階段。踊り場には朝鮮半島の大きな絵が掲げられていました。ここが一番の撮影スポットになってますが、階段で立ち止まっての撮影は禁止になっています。

 

大統領が閣僚などと会議を行った部屋。

 

前室には歴代大統領の肖像画が飾られていました。

 

このあたりは大統領夫人のエリア。執務室や応接室がありました。

 

2階には大統領の執務室。確かに妙に広い…。応接セットなども置かれていますが、ちょっと持て余している感じです。これは「手頃なトコに移ったら?」というハナシになるのはなんとなく理解できる。

 

1948年の大韓民国成立の際、初代大統領の李承晩がここにあった旧朝鮮総督官邸を官邸として使い始めたのが青瓦台のはじまりです。先ほど見学した官邸は1991年に建てられましたが、その後こちらの建物は解体されてしまいました。韓国だとなかなか日本統治時代の象徴的な建築物は残しにくいだろうしね。

 

公邸も公開されています。1990年に建てられたモノだそうな。

 

こちらは中に入れませんが、室内の様子を窓から伺うことはできます。

 

敷地が広い分、こんな風景も。確かにこりゃ「公園」だわ。

 

基本的には「現役」ではなくなった青瓦台で、唯一いまでも使われているのがこの迎賓館。

 

1階の大きなボールルームまで見ることが可能です。

 

東大門に戻って友人と合流しランチ。ホテルから歩いてすぐのところにある「平壌麺屋」です。はかなりの有名店らしく、ここに来た有名人と思しき方のサインが並んでいます。

 

かなりの有名店らしく、取り上げたテレビや新聞、雑誌などの切り抜きが所狭しと並んでいました。

 

冷麺は確かに安定のクオリティ。

 

水餃子も注文。人数が多いとシェアできるので品数が楽しめるのがいいところですな。

 

茹でた牛肉も。見た目パサパサっぽいんですが、かなり柔らかく、しっとりと調理されていました。

 

他のメンバーはだいたい日曜夜の便で帰国ということで、最後にソウル駅のロッテマートでお土産を爆買いしてました。自分も色々買ったけどさ。

 

一人になってから明洞あたりも散歩してみます。屋台も並んで多くの人で賑わっていますが、以前とお店がかなり変わったように感じました。なんせ一番目立つ通りの入口にあったユニクロがハニーバターアーモンドの店になってるじゃん! ハニーバターアーモンドってまだそんなに人気なの? ボンボンで人気だったカフェドパリも移転して健在でしたが,ストロベリーボンボンが3千円くらいといいお値段します。まぁソコまで払って喰うものでもないかしら…。

 

夕飯は韓国のチキンサンドのチェーン「マムズタッチ」にしました。昨年秋には日本でも渋谷にポップアップストアがオープンして凄い人気だったらしいです。

 

前回はじめて食べたときほどの感動はなかったけど、まぁ悪くはないわ。

 

そのあと、これまたホテル近くの「ピョルネオッ ソルロンタン」へも。

 

こちらのソルロンタンはかなり濃厚な感じでした。

 

さてソウルも4日目の最終日。朝5時過ぎにはホテルを出ましたが、どうも夜のうちに雪が降ってたみたいですね。

 

ホテルすぐそばのバス停から空港へ向かいます。

 

凡そ70分ほどで仁川空港に到着。

 

朝6時台というのにもの凄い混雑! みんな海外行くのか?

 

当然、チェックインカウンターも長蛇の列です。

 

幸いなことにスタアラゴールドのステイタスのおかげで優先カウンターが使えるのですが。上級会員ステイタス、地味にこういうとこで役立つのよ。

 

出国検査を越えてタックスリファンドのカウンターに立ち寄り。韓国ではホテル代にかかった税金も外国人旅行者なら払い戻しが受けられるんです。韓国内での消費なんだし免税にしなくてもいいのになぁ…都は思いますが、くれるってんならありがたく貰っときましょ。ホテルで用意してくれた書類をここで出すと現金で払い戻しが受けられます。千円しないくらいだけど地味に嬉しいじゃん、こういうの。なおロッテマートでも免税になりましたが、こちらは初めから税金分を除いた請求でした。

 

この近くにアシアナ航空ビジネスクラスラウンジもあります。

 

軽く朝ご飯を頂いておきました。

 

では帰国便に乗るぞ。

 

機材はA321、定刻で出発でした。

 

帰りの便でもちゃんと機内食、ホットミールで出てきます。

 

メインは牛焼肉ごはん。サイドの南瓜サラダが思いのほか美味でした。

 

無事セントレアに帰還です。

 

せっかくだし、と「くつろぎ処」でお風呂とご飯して帰りました。

4年ぶりのソウル食い倒れ、その1:DMZとサムギョプサル。

ほぼ4年ぶりのソウル、行ってきました。普段よく集まってる旅行関係の仲間内で「また海外で集まって遊びたいよねぇ」ということになり、まずはお手頃なソウルあたりで、となった次第。ただ、ソウル便って航空券の相場が割と高止まりしてる感があるんですよね…。セントレアにしても実はコロナ前よりも便数が多いくらいらしいんですけど、韓国からのインバウンド需要が凄いらしくて「安くしなくてもいい」ってトコなのかもしれません。以前は片道1万円台とかフツーだったところに「往復5万円」とか言われちゃうと「高っ!」って思っちゃうでしょ? そういはいっても最近はやっと「まぁ許したる」範囲のものも出回り始めた印象です。

 

金曜夕方のセントレアからの出発。

 

4階にある「ぼてぢゅう」はプライオリティパスで食事が出来るのですが、そのせいでいつ行っても大行列。この日は幸いにも誰も待っておらず、店内飲食ができる状況でした。

 

ミックスモダン焼きにから揚げ、どら焼きとドリンク1杯のセット。以前テイクアウトで食べましたが、やっぱりお店で食べる方が旨い気がするなぁ。

 

いざ出国。夕方なのでガラガラです。

 

セントレアグローバルラウンジにも寄っていきます。

 

ちょっと一杯いただいてみた。

 

今回のソウル行きは往復アシアナ航空の利用です。金曜夕方の便で行って月曜朝の便で帰国、というパターンです。「サプライズ!」の割引クーポン使って往復で4万円程度、フルサービスキャリアでANAにマイルも貯まることを考慮すればアリじゃないでしょうか。

 

機材はA321neoでした。機内はほぼ満席、ざっと見て8割は韓国人ってところかな。

 

アシアナ航空の凄いところは未だに日韓路線でホットミールの機内食が出てくるところ。トレーにこそ乗ってませんが、メインのボリュームは通常の機内食のソレです。

 

ボックスを開けるとカップの飲料水にロールパン、サイドのカニかま入りポテトサラダ。メインはチキンの味噌クリームソース、どれもちゃんと旨くて「普通」です。ドリンクはアルコール類は出てこなかったけど、もう出さないのかな?

 

ソウルには定刻着でしたが、入国審査では45分ほど待たされました。バゲージクレームに辿り着いたときには既に韓国人旅客はとっくに出てきた後で、ターンテーブルの脇に数個の荷物が寂しく残されていました。せっかくスタアラゴールドでプライオリティタグつけて貰っても何の意味もなかったというね…。

 

市内まではバスを利用。運賃は17000ウォンと日本円では2000円近く、随分高く感じてしまいます。

 

宿泊先は東横INNソウル東大門2です。相変わらず「どこに行っても同じ東横イン」という佇まいで、海外にいるとは思えないほど。さすが「水曜日のダウンタウン」で取り上げられただけのことはあるな。

 

www.himajinlife.com

 

今度は是非「目覚めたら海外の東横インだった」くらいやってほしいけど、さすがに「気がつかれないように国内から海外に連れて行く」のは無理かぁ。

 

ちょっとコンビニにでも、と東大門の街中まで。

 

ホテルの裏手に夜中12時近くなのに空いてる両替所が。しかもレートが結構よく、明洞の大使館前両替所みたいなトコといい勝負だったのには吃驚しました。

 

土曜は韓国と北朝鮮の境界線、DMZへ行く半日ツアーに参加しました。以前から板門店に行くツアーには何回か申し込んでみたのですが、毎回直前でツアーキャンセルになってしまい行けていません。しかも暫く前には参加者が勝手に境界線を越えちゃう事件が発生し、それ以来はツアー自体が催行されていないようです。でも近くくらいには行ってみたいぞ、と有志を募って8名ほどで参加してきたワケです。大型バスに日本語ツアーと英語ツアーが相乗りしてソウルを出発。

 

最初の訪問先は臨津閣平和ヌリ公園。

 

この付近の地図はこんな感じ。ここはイムジン河に面していますが、DMZ内ではなく韓国人が北朝鮮に最も近づける場所となっています。

 

ここからイムジン河を渡って対岸の米軍基地跡地に行けるゴンドラがあるのですが、残念ながらこのツアーでは乗る時間はありませんでした。それにしても一応は紛争地帯なのにこんなファニーなモン作るか?

 

ここには朝鮮戦争休戦時に交換された捕虜が通ったと言われる「自由の橋」がありますが、老朽化のため現在では立ち入り禁止です。この先はイムジン河を渡る鉄道橋があり、そこに繋がっています。

 

戦争で破壊された機関車が展示されていますが、この素性はよくわかりませんでした。他のところにあったものをここに移したようですが…。

 

慰安婦の像がこんなところに! 同じバスの英語ツアーのグループはここで何か説明を受けていましたが、日本語ツアーの我々の一団は何もないかのようにスルー…。なお、ここには北朝鮮の紙幣や貨幣を売っているショップもあり、もの凄く欲しくなりましたがお値段がそこそこ高く我慢しました。

 

統一大橋を渡るといよいよDMZに突入、検問では兵隊によるパスポートチェックもあってちょっと物々しい雰囲気になります。暫く進むと都羅展望台に到着です。

 

ここまで来ると北朝鮮との境界線はすぐそこ。展望台からは北朝鮮がナマで見れます。

 

高い塔の上に北朝鮮と韓国の旗が掲げられているのはそれぞれ「村」があるところなんだとか。

 

北朝鮮側に見える大きそうな街は開城、高麗の王都だったこともあるところ。南北融和の象徴として韓国側企業が進出して工業団地も作られましたが、2016年に操業停止になっています。展望台には倍率が高くよく見える望遠鏡が多数用意されており、歩いてる人が判別できるほど。

 

続いて第3トンネル。北朝鮮は停戦後も韓国への侵攻のため秘密裏に地下トンネルを掘っており、こちらは3番目に見つかったものです。現在、第4トンネルまで発見されているんだそうで…。まずはこちらでDMZに関する短いビデオを見せられるんですが、ある意味「国連軍のプロパガンダ施設」みたいな位置づけなのか「北朝鮮がいかにヒドいことしてきたか」「国連軍がそれにいかに立ち向かったか」みたいなノリの内容。また韓国側の国連軍には20カ国以上が参加しており「名も知らぬような国のために立ち上がった世界中の若者の犠牲により…」みたいなナレーションには若干複雑な思いがしました。国連軍だけで36万人の犠牲者が出ていますが、日本は派兵はしていません(掃海などでの協力はあり、ここで犠牲者は出てますけど)。今や世界一の自動車メーカーとなったトヨタ朝鮮戦争勃発の前年である1949年末には倒産の危機を迎えており、日銀介入の協調融資によってなんとか生き延びた状態だったところ、朝鮮戦争特需で業績を急回復させます。もし朝鮮戦争が起きていなければ日本の経済復興も思うように進んでいなかった可能性もあるのだよなぁ、みたいなことを考えたりして。

 

そのほか展示コーナーもあります。これは板門店の模型。

 

北朝鮮がトンネルを掘る様子のジオラマ。見つかったときに「石炭掘ってただけ」と言い訳できるように石炭を壁面になすりつけていたりとかしていたそうな。

 

で、こちらがトンネル入口。

 

トンネル内は撮影禁止。荷物はスマホも含めて全てロッカーに預けてトンネルに入るように指示されます。内部はかなり狭いため、ヘルメットが用意されていてコレを被って入場です。トンネルまでは350mほどの坂道を上り下りするかトロッコに乗るかして行くんですが、ツアー申込みの際に選ぶ必要があり、ここまで来て「歩くのイヤだからトロッコ乗せろ」と言っても無駄です。歩きたくない人は「トロッコに乗る」ツアーを選びましょう! トンネル内は250mくらい進めますが、境界線まで200mというところまで行けます。あとはただ戻るだけですけどね…。それにしてもよくこんなトンネル掘ったな、という感じです。

 

最後にDMZ内にある「自由の村」のショップに立ち寄りました。

 

DMZで栽培されたお米とか売ってる…。

 

カフェではここで採れた大豆を使ったソフトクリームがあったので頂いてみました。

 

昼過ぎにソウルに帰還。遅い昼食は「ユッケチャメ」で。

 

日本ではほぼお目にかかれなくなったユッケとレバ刺しを注文。

 

タコの躍り食い、サンナッチも試してみます。テーブルに運ばれてきた段階でもまだウネウネ元気に動いてたよ…。

 

もうちょっとイケる?と梯子。ミシュランにも掲載されたという「プチョンユッケ」へ移動です。

 

ここでは一人1品オーダーが必要とのことで、ユッケビビンバをオーダーします。ご飯を入れて混ぜて食べるのですが、普通サイズでもユッケの量がかなり多い。ただ野菜も多いので意外とあっさり喰えちゃうもんですね。

 

レバ刺しはこちらでも頼んでみました。ユッケチャメも旨かったけど、こちらのほうがちょっと上かな?

 

夕食はサムギョプサルのお店「マッチャンドゥル ソグムグイ」に集合。結局、10名以上が集まっての大宴会となりました。

 

お店に入ると豚肉の並んだ冷蔵ショーケースが目を引きます。

 

テーブルに着くと調味料や副菜などがガンガン並び…。

 

お肉もやってきました。

 

お肉をお店の人がちゃんとイイ塩梅に焼いてくれます。チェーン店のようですがかなり地元民に人気のお店らしく、確かに旨い肉でしたね。値段もそれほど高くない感じ。

 

そのあとは近くのカフェに河岸を移します。

 

結局夜11時のカフェ閉店までみんなで粘っちゃった由。

割とノープランの沖縄、その2:冬の沖縄でホエールウォッチングなどなど。

適当に動きました。

 

今回、エアとホテルは確保したものの肝心の「沖縄で何やるんだ」ってのが全くの白紙でした。とりあえず、冬の沖縄といえばホエールウォッチングが定番らしいのでソレの予約は確保。あとは行き当たりばったりで考えることにしました。2日目の朝、朝食後にホテルでツアーのお迎えを待っていたら猫がいました。

 

何カ所か廻って朝9時頃に出発の那覇北マリーナに到着。ここで受付と説明を受けます。夏の間はアラスカやロシアのほうの北の海にいるザトウクジラが冬になると繁殖や子育てのために沖縄の方に移動してきます。そのため、冬の時期限定で沖縄周辺でホエールウォッチングができる、というわけです。今日はお天気もよく海の状態も良好。船酔いの可能性は低そうだけど酔い止め薬は飲んだ方が安心とか、海の上は風が冷たいので防寒にご注意、とか。

 

それではクルーザーに乗っていざ出発。今日の参加者は30名ほど、満員御礼のようでした。

 

出港して20分ほどで「クジラが見れそうなスポットに着いた」と停船。他にも何隻かホエールウォッチングの船が集まってきていました。どうやら今日はこの辺で目撃情報があったそうな。でもクジラなんて海の中を泳ぎ回ってるんだから「さっき見れた場所」にいてもダメなんじゃない?とか思うでしょ?それがそうでもなくて、クジラって単に「プカプカ浮いてる」状態のことが多いんだそうな。で、ほ乳類なので呼吸をする必要があるため、必ず海面に出てくるワケです。15~30分程度毎に浮かんでくるので、それを狙ってここで待ってる、という由。なおオスのザトウクジラだと浮いてるときは代々「歌ってる」そうです。繁殖期のオスだけが「歌う」ので求愛とかが目的なんじゃないかと言われているようですが、正確なところは未だに不明。一頭ごとに歌う「曲」は違っており、ワンシーズンその曲しか歌わず、次のシーズンはまた別の「曲」を歌います。「曲」にはシーズン毎の流行みたいな傾向もあったりするとか、なかなか面白い話が聞けました。

 

暫く待っていると遠くの方で潮を吹くのが見えました!

 

潜水する際の尻尾が見えた! 尻尾の模様は一頭一頭違っており、それで個体の識別が可能。もう何十年も来ている有名人?もいるそうな。

 

最初に見えてから20分後くらいにもう1回出てきてくれました。それから暫く待ってみましたが、20分以上出てきません。もう移動しちゃったのかも…。

 

と思ったら20分ほど経過した所でかなり近くに出てきてくれました。

 

沖縄のホエールウォッチングでは1隻が一箇所にとどまれる時間がクジラ保護のために決まっているらしく、他の船はもう帰ってしまったあと。自分たちのツアーだけがこの姿を見られました。なお当然ですが、よく旅行雑誌などで見る「豪快なジャンプをするクジラ」なんてのは滅多に見れるもんじゃないし、いつ見れるかもわからないですよ。

 

最後のクジラの姿を見て帰還。クルーザーにはホットコーヒーや温かいスープなどが用意されており、海の上で冷えた体に親切。酔い止めとしてキャンディーとかもありました。

 

帰りは送迎をホテルではなく国際通りまでにしました。

 

昨年3月にリニューアルオープンした第一牧志公設市場へ。インバウンドと思しき皆さんが海産物をバカスカ買ってる様子が目立ちました。ここ、1階で買ったものを2階で調理してもらうことができるんですよね。

 

そういう自分はフツーに2階の食堂でお昼ご飯にしました。

 

こちらの「さくら亭」、この「ぐるくんのから揚げ定食」が750円と結構リーズナブル。ぐるくんは沖縄の県魚とされているほどこちらではポピュラーなんですが、こんな形で食したのは初めてかも。意外と油も乗ってて旨いね。

 

その後は特に意味もないですが沖縄のアウトレットモール「あしびなー」まで足を伸ばしてみました。特に何も買うモノはないんだけどね。

 

ここから無料のシャトルバスに乗車して…。

 

近くの「イーアス豊崎」へ。

 

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こちらには2020年10月、併設の「DMMかりゆし水族館」目当てに来たことがあります。タダ、当時に比べると閉店したテナントも結構あるようで若干寂しい印象も。ただお子様向けの施設が多く、賑わいはあります。

 

こちらのフードコートで一休み。

 

沖縄ぜんざいを頂きました。

 

イーアス豊崎には海を眺められるデッキがあります。遠くには那覇空港に着陸する飛行機の姿が。あ、そうか!

 

と気がついて夕刻の瀬長島へと移動してきました。

 

ここは夕日観賞の名所の一つ。夕日をバックに着陸する旅客機が映えてます。

 

この景色目当てに来てる観光客、日本人も外国人も結構いました。

 

3日目はちょっと遠出も考えましたが結局那覇市内をうろうろ。そういえば沖縄にも神社あったんだな、と波上宮まで来てみました。

 

そしたら大混雑。

 

考えてみればちょうど1月の初詣の時期だしな…。加えて訪日客も結構来ている様子。ここを「沖縄」として捉えれば「ここで神社に行かなくても」という感じでしょうが、「日本」としてみれば日本らしい神社くらい巡ってみたいもの。おそらく、そんな感じなんじゃないのかね?

 

ここ波上宮は大きな岩の上にあり、ここは古くから神聖な場所として祀られてきたことろ。周囲に広がるビーチはここが那覇中心部から歩いてこれる距離とは思えない綺麗さです。

 

こうしてみるとなかなか神々しい気もするなぁ。ちなみに今回泊まった「沖縄ホテル」も戦前はこの付近にあったそうです。沖縄戦で跡形もなくなったそうですが。

 

お昼は「対馬丸記念館」向かいの「タコス屋アミーゴ」。

 

slips.hatenablog.com

 

対馬丸記念館」は2022年に訪問していますが、実は波上宮のすぐ近くだったんですね、知らんかったわ。

 

タコライスをいただきました。

 

そのまま歩いて国際通り方面へ向かったのですが、途中で何か庭園らしいものを発見。「福州園」とかいうらしいです。ちょっと入ってみました。

 

ここは1992年に中国福建省福州市と那覇市の友好都市締結10周年を記念して開園した中国風庭園でした。その昔、福建省から移住してきた人たちがこの周辺に住んでいたことに因んでここに造られたとのこと。ちょっと休めるような場所もいくつかあって、ただのんびりするために来るってのもアリな感じです。

 

沖縄の国際通りエリアって裏通りに入ると途端にアジアっぽい路地が広がるのが味があっていいよねぇ。

 

また沖縄ぜんざいとかで一休みしたいなぁ、と見つけたのがこの居酒屋「琉球古民家」。店内からは陽が高いうちからすっかり出来上がったお客さんの歌うカラオケが響きます。ホントにここでぜんざい喰えるの?

 

で、出てきたのがコイツ。かなりレベル高いです。

 

そのまま壺屋やちむん通りのほうへ。

 

陶器店や工房などが並ぶ通りをぶらぶら散策です。

 

バスでおもりまちへ移動。ここのDFSギャラリアも冷やかしてみます。

 

このあたりで時間切れ。空港へと向かいましょうか。

 

沖縄ではホテル~空港間の手荷物搬送「エアポーター」というサービスがあります。午前11時までに申し込んでホテルに残していくと、午後4時には空港に届くというもので、料金も1100円からと割とお手頃。大きな荷物を持って歩いたり、空港に行く前にまたホテルに荷物を取りに行く無駄を考えればアリじゃないでしょうか。那覇空港での受け取り箇所が国内線と国際線のターミナルの中間地点とちょっと面倒ですが、国内線・国際線利用者とも同じくらいの労力だと考えればココしかないかも。

 

搭乗前に夕食。日本だと沖縄にしかないハンバーガーチェーン「A&W」です。沖縄全土で30店舗近くあるはずですが、那覇中心部だと国際通りおもろまちにしかないので、意外と行きにくかったりします。そんなわけで、空港の支店が一番お手頃な感じかも。

 

A&Wといえばルートビア。独特の風味で好き嫌いが分かれる味だと思いますが、A&Wではドリンクにルートビアを頼むとお代わり自由になります。一応サイズ違いで売ってるのに飲み放題ってサイズの意味あるか?とは思うけど、アメリカのファーストフードではよく見かけるパターン。

 

その後に保安検査を抜けJALサクララウンジへ入ったのですが、なんと満席。空席があるまで待つか、代わりにお食事券1000円分を貰うかどちらか、と言われました。実際に入口に列を作って待っている人もいるようなので、ここは金券をチョイス。ただ、既に夜7時過ぎだと制限エリア内の店舗の営業もかなり限定されてきており、お弁当類はほぼ売り切れ、スナック類も取り扱い終了となっているものが多数といった状況でした。お店によってはお食事券を買い物等にも充当OKだったので、お土産の買い増しで消化した次第。

 

なんか直前でバタバタ」しちゃいましたが、帰ります。

 

今度はノーマルなB737-800でした。

割とノープランの沖縄、その1:文化財の宿「沖縄ホテル」宿泊記。

JALのタイムセール、1月分はスルーするつもりだったのですが金曜夜に那覇入り、日曜夜に名古屋帰還のスケジュールでお安く確保できてしまった…。

 

夕方のセントレア。夕方の出発便のピークを過ぎているのか空いてます。

 

JTAの沖縄行き最終便で出発です。

 

今日の機材はB737-800、ジンベエジェットですな。

 

セントレア売店で買ったサンドイッチで軽い夕食。国内線保安検査場横の「おみやげ館」、夕方6時過ぎくらいになると残ったお弁当の割引がはじまるみたいなんだよね。ただし「どれだけ売れ残ってるか」は運次第だから常に買えるわけじゃないけど。

 

那覇空港に到着。ゆいレールで市内へ移動します。

 

安里で下車。

 

歩いて7~8分ほどで今回の旅のお宿「沖縄ホテル」にやってきました。実はここ、以前から泊まってみたいと思っていたところ。創業は1941年と「沖縄最古のホテル」と言われており、最初のホテルは沖縄戦で破壊されたものの1951年には現在の場所で再開。最近ではホテルの建物が登録有形文化財に指定されたほどです。

 

ホテル敷地は表通りから奥まったところに。

 

ホテルのエントランスはこんな感じ。正面は1960年に建てられた旅館棟で、左手が1970年建築のホテル棟となります。

 

建物自体はかなり年季が入ってますが、内部は非常に綺麗。フロントもロビーもピカピカです。

 

フロント脇にはシャンプーバーが。カップが用意されているので、それに入れて部屋に持ち帰るような感じです。

 

ロビーに上階に繋がる階段がある構成、クラシックホテルでよく見ます。このあたり、そこはかとない老舗感あるなぁ。

 

予約したのはシングルルーム。一般的なビジネスホテルのシングル、といった広さなのは「時代」でしょうな。こちらもリニューアル済みで、内装は非常に綺麗です。

 

ベッドの枕元にはコンセントにUSBソケットが。ちゃんとアップデートされてる!

 

窓際にはデスクと椅子、冷蔵庫やテレビにポットなどが揃ってます。

 

クローゼットはこんな感じ。スリッパに消臭スプレーが用意されていました。

 

バスルームは一般的なユニットバス。

 

ただこちらのホテル、沖縄には珍しい?大浴場があるんです。温泉ではないですが夜中の12時まで開いていて、足を伸ばして大きな湯船でリラックスできるのはありがたいところ。

 

ホテル周囲もなかなか便利。安里駅前には24時間営業のスーパーがあります。

 

安里駅前は飲み屋街として知られる栄町市場が広がっているので、ご飯で困ることはありません。初日の夜は「栄町ステーキ」で遅い夕食としました。

 

メニューはステーキのみ!のシンプルさ。それにしても「おつまみセンべろセット」のお値打ちさが凄いな…。ドリンク3杯ってベロベロ越えないか?

 

そこまで呑む気はないのでフツーにステーキ+セットでいきます。ただビール1杯400円には抗えず…。セットのスープが肉と野菜がこれでもかと入っていて吃驚。

 

ステーキは200gにしましたが、確かに美味。ごちそうさまでした。

 

栄町市場エリア外にもいろいろと飲食店があります。こちらは2日目の晩ご飯を頂いた「安里屋すば」。

 

立ち食いですが、沖縄そばが旨いとの評価。

 

ジューシーと一緒に食しました。

 

今回は朝食付きのプランで予約。レストラン「くがにテラス」での提供です。

 

ラインアップは豊富で、沖縄料理も多数並んでいました。

 

サラダはチョップドサラダにしてくれるサービスもあったりして。なかなか面白いです。

 

ドリンクコーナーにはビールサーバーや泡盛ハイボールが置かれていますが、なんとコレ、朝から飲み放題なんですわ。いいのかそんなの。なおこのレストランは朝食営業終了後の朝10時から夜10時まではワーケーションスペースとなりますが、朝食付きプランで宿泊すると無料で利用でき,しかもこのドリンクも飲み放題という特典が付きます。ワーケーションでビール飲み放題っていいのかそれ、と言う気もしますが、あんまり気にしちゃダメだよね!

 

ちなみに1泊目朝はこんな感じで。

 

カレーに沖縄そばも食っちゃうぞ。

 

2泊目の朝のチョイス。

 

甘味系もいろいろあって、かなり満足度の高い朝食でした。

 

フロントロビー横にもラウンジスペースが。この本棚には沖縄関連の書籍が並んでいましたが、このホテルの創業者である宮里定三に関する書籍があり、これは「よろしければお持ち帰りください」とのことなのでありがたく頂きました。沖縄観光の父と言われるだけあり、沖縄の観光の歴史書みたいな本でしたよ…。戦後ホテルを再開した際は航空会社職員やビジネスマンが主な顧客。日本復帰後は戦没者慰霊が沖縄旅行の主な目的だったようで、今のような「リゾートアイランドOKINAWA」みたいになったのはその後、宮里定三等多くの人の努力によって造られたものだったワケですね。

 

1階に自販機コーナーがあり、ちょっとしたスナック類も購入可能。

 

同じエリアにはコインランドリー。5台も設置されてるのってなかなか見ない気がしますが,それだけ長期滞在とかで使われることが多いのかしら。

 

奥まったところにあるせいか、那覇市内にありながら長閑な、不思議な空気感のあるホテルでした。設備とかでいえばもっといいホテルは一杯あるだろうけど、この独特の雰囲気はおそらくここでしか味わえないもの。意外とお勧めかも。