へんな旅ばかりしています。

へんな旅をしているようなので、自分のための防備録的にやってみます。

さよなら根室線、流氷つき。その1:今年は当たり年?流氷観光。

2024年3月末で根室本線富良野新得間が廃止となります。2016年夏の水害で東鹿越~新得間はバス代行となっていましたが、復旧しないまま廃線を迎えることとなりました。まぁ一応は直前に乗りに行こうかな、ということで。

 

金曜夜の新幹線で東京入り。蒲田駅前の「カプセルイン蒲田」で前泊しました。

 

朝6時前の京急蒲田駅から羽田空港へ向かいます。

 

早朝なのになかなかの賑わいです。そのまま保安検査を抜けてゲートエリアへ。

 

サクララウンジに立ち寄り。

 

ラウンジの窓から富士山が綺麗に見えてました。

 

朝7時発のJAL女満別行きに搭乗。ただ搭乗開始直前に遅延のアナウンスが入り、搭乗が始まったのは朝7時過ぎでした。

 

機材はB737-800。遅延の原因は機内での操縦席からのアナウンスによると「追加の燃料搭載が必要となったため」だそうな。結局、離陸は30分遅れとなりました。

 

女満別空港への到着は約25分遅れとなりました。

 

網走市内行きのバスは航空便に連絡しているため待ってくれていました。先ほどの羽田便から全ての旅客が到着ロビーに出てバス利用者が全員乗ったのことを確認しての発車なので、朝9時半頃まで発車は遅れることに。

 

網走市内までは約30分。この時期は流氷観光の臨時列車「流氷物語号」が運行されており、網走発の「1号」が9:54発なのでコレに乗ろうかと思っていたのですが残念ながら間に合わず、でした。

 

結局、このバスの終点の道の駅までやってきました。

 

ここは流氷砕氷観光船「おーろら」の出発港でもあります。12時半発の便に予約を入れていたのですが、1便前の11時発にへんこうしてもらいました。今日の網走付近は流氷は接岸していませんが、沖合にはまだいるようです。実は前日までは砕氷観光船が港外に出れないほどギッシリと流氷が押し寄せてきていたらしいんですが、一晩にして遠ざかってしまった模様。いま流氷を観るってこんなに難しくなったのねぇ。

 

出港15分ほど前から乗船開始。ほぼ満員らしく多くのお客さんが並んでいましたが、やはり外国人観光客が目立ちます。この日多かったのはタイ人。いやぁ一週間前まで私タイにいてタイ語に囲まれていたんですが、まさか日本の最果てでもタイ語に囲まれることになるとは。

 

では流氷観光に出発。

 

10分ほど沖合に進むと、流氷帯に突入です。やっぱり迫力ありますな。

 

流氷の上にはオオワシも。

 

30分ほど流氷の中をぐるぐる廻って帰還の途へ。

 

道の駅からは網走駅まで徒歩で戻りました。網走の一番の繁華街?を通りましたが、シャッターを降ろしている店が多く残念ながらかなり寂しい感じです。昔は大型の店舗とかももっとあったような気がするけど…。最初はココにある「ホワイトハウス」というレストランで昼食にするつもりだったのですが、網走から斜里方面の海岸には流氷が接岸しているとの情報があり、午後の「流氷物語号」に乗ろうと思った由。

 

網走駅に到着。

 

12:45発の「流氷物語3号」に乗車しました。1ボックスに1~2名程度の混み具合。

 

今年も往年の名作ゲーム「オホーツクに消ゆ」とのコラボになってました。このゲーム、今年の夏にリメイク版の発売が決まったそうな。

 

知床斜里行きの「流氷物語号」は北浜で10分ほど停車時間を取ります。「オホーツク階に一番近い駅」として、ホームの目の前は海。

 

沖の方は海面が見えちゃってますが、それでも北浜駅の海岸が流氷で埋め尽くされる姿を見るのは本当に久しぶりのような気がする。

 

北浜発車後、車内でお昼ご飯。網走駅の駅弁「かにめし」です。これも昔から変わらず網走駅で販売されているもの。お値段は1100円ですが、今や駅弁としては「安い」部類に入るよね…。

 

藻琴を通過したあたりからオホーツク海が再度車窓に現れ始めます。このあたりはかなり流氷がしっかりと接岸している様子。そうそうこれだよ!観たかったのは!

 

終点の知床斜里着。

 

そのまま折り返しの「流氷物語4号」に乗り込みます。

 

網走行きだと浜小清水で20分ほど停車となります。ここは駅に道の駅が併設…というよりは道の駅の一部が駅になってる、という感じのところ。

 

ちょうど3月1日にリニューアルオープンしたばかりのようで、かなり広めのフードコートなどが新設されたようです。販売エリアも拡張されていますし、前からあったセイコーマートも引き続き営業中と、かなり便利になった感じ。

 

また網走駅まで戻ってきました。

 

ここからはまた釧網線。釧路行きの普通列車で移動します。車両はキハ54ですが、これも3月のダイヤ改正で新型のH100系に置き換えとなって姿を消す予定。

 

もと特急車両のリクライニングシートが並んで意外と快適だったこの車両も乗り納めです。

 

釧網線はシカが沢山出てきて列車が遅延することも珍しくないのですが、この日はほとんど見ませんでした。

 

夕方6時前にはすっかり辺りは暗くなり、夜汽車の雰囲気が漂い始めました。

 

夜7時前に釧路に到着。

 

先ほどの列車に接続するような時間で札幌行き最終の特急「おおぞら」もありましたが、今日は「青春18きっぷ」での移動。新得行きの普通列車に乗りました。実は帯広方面はこれが最終。夜7時半前に最終列車が出ちゃうのか…。

 

お客さんは数組。ちょっと晩酌を楽しみます。

 

駅弁類は売り切れでしたが,駅構内のおにぎり屋さんは夜7時まで営業しており、まだ商品もいろいろとありました。ザンギとかも売ってたよ。

 

今日の目的地である帯広に到着したのは夜10時でした。

 

まずは今日のお宿「十勝イン」へ。

 

昔ながらのフツーのビジネスホテル、といった感じの室内。帯広市内のホテルだと天然温泉付きのところも多いのですが、ここにはありません。駅正面の「十勝ガーデンズホテル」と同じ経営で、そちらのホテルにある温泉の入浴券を格安で販売しているという情報もあったのですが、今では実施していないようです。

 

そのまま寝るのもつまらんなぁ、と街中をぶらぶら。「十勝乃長屋」にある天麩羅のお店「てんかつ」に入ってみました。

 

最初はタチの天麩羅。北海道ではタラの白子を「タチ」と呼ぶんだよね。

 

アスパラに…。

 

雲丹。

 

あとは牡蛎。なかなか美味でしたが、これにビールで3000円弱だったので、お値打ち感はそれほどでもなかったかしら。

中国経由でタイへ、その4:バンコク最終日&キティで帰還。

バンコク最終日、夜には帰国です。

 

マリオットのプラチナエリートの威力で今日は夕方4時までレイトチェックアウトができます。ホテルに滞在できる間はプールサイドあたりでのんびりしてました。途中、お昼ご飯を食べにお向かいのアイコンサイアムへ。ホテルのシャトルボートですぐ行けます。

 

それにしてもココ、来るたびにバンコクの勢いみたいなのを感じさせられます。こんな凝った、贅沢な空間使いのショッピングモールなんて今どきの日本にあるかい?

 

こちちの6階のレストランゾーンにパッタイの有名店「ティップサマイ」があります。さすがにちょっと行列ができてました。

 

名物は薄い卵焼きで包まれたパッタイ。こんな高級モールながらお店は庶民向けなのでお値段がお手頃なのもステキです。

 

このフロアも天井から滝みたいなのが流れてたりして,結構ゴージャス。

 

いったんホテルへ戻りましたが、ホテルのシャトルボートはホテル→アイコンサイアム→サトーン桟橋→ホテルという三角運行なので遠回り。そこで有料の渡し船を使ってみました。この船がチャオプラヤ川の対岸とを往復しています。

 

考えてみたら川を上り下りするボートにはよく乗るけど、川を渡る航路ってあんまり使わないような気がしてきた。

 

対岸の船着き場はホテルのすぐ脇。

 

ホテルとリバーシティの間くらいに着岸。

 

ホテルをチェックアウトした後、空港へ向かうまでの間の時間もまたアイコンサイアムで。ここ、上の方はハイブランドも多数入るゴージャス感満載のモールなのに,1階はこんなタイっぽいエリアになってるんです。

 

街中の屋台で売ってるような料理も多くて、ストリートフードを気軽に安全に楽しみたい、なんて時にはお勧めです。

 

さてスワンナプーム空港へ向かいます。どうやって行こうかな、と考えたんですが、ホテル前からのバスの中にはエアポートレールリンクのパヤタイ駅のほうまで行く路線があるじゃないですか! これなら激安で空港まで行けるんじゃね?とこのルートにしてみました。バスで20分ほど乗るとパヤータイ駅手前のバス停に到着。そこから駅構内までは上りのエスカレーターが使えるので実はそこそこバリアフリーだったりして。歩行距離は長めだったけど…。

 

ホームに上がると程なくして列車が入線してきました。利用者はかなり多いですが、空港まで行く旅行者よりは区間利用の地元の方が目立ち、すっかり都市交通として定着してる感じです。

 

夜11時前には空港に到着。ここまで、バスの待ち時間とかも入れて1時間半かからないくらいでした。時間はかかったけど、バス+ARLで58バーツと200円ちょっとしか払ってないぞ。

 

荷物を整理してチェックインを済ませたら、そのまま出国審査へ。保安検査はスムーズだったんですが、問題は出国審査。列が2箇所に分かれるのですが、自分が並んだ方のブースは審査カウンターがよく見ると3つほどしか開いてません。しかも一つはタイ人向け。当然ながら審査の列は全然進まず、結局1時間ほど待たされる羽目に。この時間は欧州行きの出発便も多く、その辺の利用者と思われる欧米系のお客が「どうしようもう間に合わないよ…」とザワザワしはじめたり、「もう出発間際なんで先に通して」「ワタシもずっと待ってるのよアナタも待ってなさい」的なプチ小競り合いが起きてみたり、ちょっとヤバ目な雰囲気になってました。

 

そういうわけで「とっとと出国審査を通ってラウンジでのんびりしてやる」計画は見事破綻。本来であればSFCのチカラでタイ航空のラウンジに入れるんですが、この時間は混んでそう、と思いプライオリティパスで使えるオマーン航空のラウンジへ行くことにしました。一応オマーン航空は1日2便ほどあるみたいですが、そのために単独のラウンジを24時間で運営してるってのは贅沢。

 

こちらのラウンジにはシャワーが用意されていて、プライオリティパスでの利用者も無料で使えます。同じようなことを考える輩はいるようで、シャワーは現在使用中とのこと。ただその次に案内して貰えるそうで、それまでちょっと食事などして待ちました。何故か日本風のカレーと焼き鳥があったぞ。

 

シャワールームはこんな感じ。汗を流してさっぱりできました。

 

さていよいよタイを離れ、エアチャイナの上海行きに搭乗です。中国人の団体さんが多いようでしたが、なんか席に着くまで皆さんお祭りみたいな大騒ぎで、一体何があったらあんな凄い騒動になるのか…とちょっと面白かったです。でも乗ったら皆さん超静か。夜だから寝ちゃったのね。

 

離陸して1時間くらいのタイミングで機内食が出てきました。ウェスタンかチャイニーズかの2択でして、「中国系エアライン、とりあえず中華料理にしておけば大外しはしない」説を信じて「チャイニーズ」を貰ったところ、メインは「お粥」。ガチで何の味付けのない白粥です。まぁ中華料理の朝食としちゃ定番だし、不味くはなかったんですねどね、ええ。

 

帰路は空港混雑とかはなく定刻で上海着。

 

帰りも上海での乗り継ぎは手荷物は関空までスルーでした。上海では乗り継ぎカウンターでの手続きが必要ですが、乗り継ぎ先の航空会社別に行われるんですね。奥の方に行列が出来てるのはスイス航空のチューリッヒ行きへ乗り継ぐ皆さん。バンコクから欧州なんて佃煮にするほど直行便が飛んでるだろうにわざわざ上海経由なんてアタマおかしいんじゃないの?とか一瞬思ったけど、こちらも「バンコクから日本なんて佃煮にするほど直行便が飛んでるのに上海経由とかに乗ってるアタマおかしいヤツ」であることに気づいてしまった。エアチャイナへの乗り継ぎ客はエアチャイナの手続きカウンターに並びますが、こちらもフランクフルトなど欧州便へ乗り継ぎ客が目立ちました。手続きが終わると保安検査場に向かうわけですが、ここの通過も乗り継ぎ先の航空会社ごとの案内。「エアチャイナの客は後で案内するからここで待ってろ」と20分ほど待機させられました。

 

次の関空行きの出発まで2時間以上あるのでラウンジへ。エアチャイナのラウンジを利用しました。

 

さすが中国のフラッグシップキャリアが主要空港に持ってるだけあって、かなり立派です。

 

2フロア構成となっており、下の階にはドリンク類のみを用意。

 

メインは上のフロア。

 

かなり広々としており、雰囲気もよくデザインも意外とお洒落な感じです。

 

食事などは中央のカウンターに用意。中華系の料理が多めですが、味はまずまず。

 

このラウンジにはシャワーの設備も。使用したい場合はシャワーエリア前の受付で搭乗券と引換に鍵とこの札を貰います。

 

せっかくなので使わせてもらいました。アメニティ類もしっかり揃ってたし、綺麗に保たれていて気持ちよく使えます。

 

では、関空行きに搭乗。

 

機材はA330-200でしたが、お客さんはざっと6割くらい、といった感じ。窓側の席を取りましたが隣席は空席でした。

 

こちらの機内食もトレーではなくボックスでの提供でした。

 

中身はほぼトレーで出てくるのと同じような構成です。メインはカレー風味の鶏肉の炒め物。

 

関空には30分ほどの早着でした。行きはあんなに遅れたのに…。

 

本館へ向かうシャトル乗り場にはインバウンド向けのこんな広告が。帰国時に受け取れるようにオンラインで事前オーダーをお勧めする内容ですが、ロイズにじゃがポックル東京ばな奈って「関西」要素どっかに行ってるぞ。

 

ここから名古屋まで帰るわけですが。

 

帰路は特急とか乗っちゃうぞ。特急「はるか」ですが、新大阪まで自由席に乗っても特急料金は1200円かかりますが、JR西日本のネット予約サービス「e5489」経由の「J-WESTチケットレス」で購入すると指定席に乗っても750円で済んじゃうんです。予約は利用前日からしかできませんが、空港特急なら利用当日に次の列車のチケット買うのが一般的だろうしね。

 

ちなみに「はるか」の車体には「ハローキティ」のラッピングがされていますが、内装も結構キティで浸食されていました。ヘッドレストカバーにも壁面にもキティさん。

 

洗面所の鏡にもキティさん。どこにでもいるなキミ。

 

ハローキティは海外でも大人気。「キティ描いときゃ話題になるだろ」程度でやってるのかと思ったのにガチだったんか。

 

新大阪から名古屋までも新幹線でゴーカに行きました。昨年秋の「EX予約」の運賃改定で、以前は指定席でも自由席でも同料金だったものが「指定席の方が高い」という設定になりました。新大阪始発の「のぞみ」なら座れないことはないだろ、と自由席をチョイス。

 

名古屋駅で下車すると、いい匂いが漂ってきます。「のぞみ」自由席利用だと、降りたところにコイツがいやがるのか! 

 

思わず食べちゃいましたよ、「住よし」のきしめん。久々かも。

中国経由でタイへ、その3:バンコクゆるゆる散歩、モノレールもあるよ!

結局特にこれといったことはやってないなぁ。

 

バンコク到着翌日は夜中にホテル着だったことあって、昼前から活動開始。ロイヤルオーキッドシェラトンの隣には「リバーシティ」というショッピングモールがありますが、これもかなり昔からあった筈です。

 

アンティークなどを扱う店が多く、高級モールとして知られているところ。いまだにハイセンスさを感じさせますな…。

 

お昼はサイアムスクエアへ。ホテル前のバス停からMBKまで、直通のエアコンバスで15分ほどで着いちゃいました。

 

久々のバンコクだし、やっぱココだよね、とソンブーンで昼食にしました。

 

定番のプーパッポンカリーを頂きますが、それにしにても高くなったなぁ…。普段は殻なしをオーダーするんですが、ちょっと量が多いのとお値段もお高めなこともあって殻付きです。これはこれで悪くないんですけどね。

 

ちなみに今日はタイでは万仏節という祝日。アルコールも販売や提供が禁止されているので,ソンブーンでもビールなどは注文不可でした。スーパーなどでもアルコール類は販売できないようにシールされていましたし、ホテルのクラブラウンジですらノンアルコールだけ、という徹底ぶり。

 

続いてこれも定番、マンゴタンゴ。

 

ただし頼んだのはちょっと捻ってマンゴパフェだったけど。

 

その後はサイアムスクエア周辺を散策。このあたりも昔から随分変わって、お洒落な通りになってます。

 

MBKも東急デパートが撤退した後にドンキが入ったりと変化はありますが、本質的なところは昔とあんまり変わってないような…。相変わらず怪しいブランド衣料も売ってるし「ニセモノトケイ」とか声をかけてくるおっちゃんも健在。某リ○ワのジュラルミンケースが1万円くらいで売ってて吃驚しましたが、奥の方でおばちゃんがブランドタグをカバンに貼り付けてるじゃん…。ハイブランドが並ぶ高級モールばかりになったサイアムスクエアですが、こういうのも残っててほしいなぁ。

 

夜はナイトマーケットへ出かけてみます。コロナでかなり閉鎖に追い込まれた中でも再開したり新しくオープンしたところもあり、この「ジョッドフェアーズ」も2021年にできたナイトマーケットです。

 

結構人気のナイトマーケットだそうで、地元の方を中心にかなりの賑わい。全体の3分の2くらいは飲食店、といった感じです。

 

タイのビーチの屋台なんかではよく見かけるロティがあるじゃないですか! たっぷりのマーガリンでカリカリに焼き上げたクレープみたいなもので、なかなか旨いんですよコレが。

 

スライスしたバナナを包んだロティを頂きます。コンデンスミルクがたっぷりかかるジャンキーなスイーツですが…。

 

3日目はチャトチャック ウィークエンド マーケットへ。

 

広すぎてお店がどこにあるのか全然わからない迷宮感がこのマーケットの魅力でもあります。以前行った店が同じところに今でもあるとは限らない、んだよねぇ。販売しているものの種類などでなんとなくエリア分けはされてるんですが、必ずそうなってるわけでもない緩さ。

 

以前来た時に人気だった「ミルク」の店も別のところで営業していました。

 

エアコンもないマーケットで大汗かいて歩き回った後なので格別に旨い。

 

その後はちょっと「鉄」な動きを。バンコクでは今どんどん市内鉄道のネットワークが広がっていますが、その中にはなんと「モノレール」もあたったりします。その最初の「イエローライン」が昨年、2023年に開業しました。

 

今日はコレに乗ってやろう、と思った次第。イエローラインはバンコクの郊外を半周するように敷かれた路線で、地下鉄ブルーラインのラートプラーオからBTSスクンビット線のサムロンまでを50分ほどで結びます。

 

路線は基本的には大通りに沿って建設されており、上下のアップダウンも結構あります。その辺りの事情からモノレールが採用されたのかも。

 

フアマークでエアポートレールリンクの線路を潜ります。一応ここが両路線の乗換駅ということになっていますが駅の位置はかなり離れており、空港アクセスとしての乗り換えはかなりの苦行かと…。

 

車窓にはバンコク郊外の長閑な風景も。遠くには都心の高層ビル群が見えていたりと,なかなか新鮮です。

 

終点のサムロンはBTSの線路と同じレベルに高架が作られています。この先の延長とかの予定ないのか?大丈夫?

 

車両はアルストムのInnoviaシリーズを中国でライセンス生産したものだそうで。車両の高さが低いんですが、その分客室内に走行系の機器が収められていると思しき巨大な出っ張りがありました。なお無人運転らしく運転席はなく運転手もいません。

 

ちょっと遅い昼食はサイアムパラゴンで。

 

1階のフードコートはバンコクの有名店を集めています。「ピンクのカオマンガイ」と日本人旅行者にも有名な「ゴーアンカオマンガイ」もあったりして。

 

かなりの行列ができてますが、これが駅直結の綺麗なフードコートで頂けるのはありがたいですな。

 

同じくサイアムパラゴンの1階飲食店エリアにあった「スウェンセンズ」でデザートタイム。この「スウェンセンズ」もタイには昔からあるアイスクリームパーラーのチェーン店ですが、お値段はお手頃なまま。このカオニャオ・マムアンをアレンジしたサンデーが100バーツくらいというのは、今のバンコクの物価から考えればお値打ちですよ。

 

夜はまたまたナイトマーケットへ。今度は「アジアティーク」です。

 

2年前に来た時にはちょっと悲しくなるくらい寂しかったのですが、さすがに今ではかなり復活している様子。まだクローズしているエリアもありますが、お店も確実に増えており、観光客の姿も多く見かけました。

 

ニューハーフショーの「カリプソ」も元気に営業中。

 

コロナ前にあった、激安のお菓子屋さんも復活してます。タイ限定フレーバーのポッキーやプリッツを1箱10バーツくらいで売ってるんで、ばらまき土産を入手するには最適なお店だったのですよ。そのほかのお菓子類も街中のスーパーとかよりたいてい安いです。

 

またディスカウントストアの「Big-C」もできてました。お弁当やお総菜、生鮮食品まで扱っている上にイートインコーナーも設置されています。魚介類は「ココで調理します」とか表示出てたけど…。売り場面積はかなり広く雛揃えも豊富で、お土産購入には便利そうです。

 

シャトルボートを乗り継いでホテルへ帰還。リバーサイドの高級ホテル群の一番奥がロイヤルオーキッドシェラトンです。

中国経由でタイへ、その2:昔は凄かったのよ、「ロイヤルオーキッドシェラトン」宿泊。

バンコクの宿泊先は「ロイヤルオーキッドシェラトン」。プラチナチャレンジで獲得したプラチナエリートのステイタスはこの2月末で陥落予定のはずなので、最後のステイタス堪能を、と選んだ次第。ポイントを使ったのでタダです。

 

空港からホテルまでは30分ほどで、夜中3時過ぎに到着しました。

 

「ロイヤルオーキッドシェラトン」は1982年開業とバンコクでは老舗のホテル。チャオプラヤ川沿いに立地し、並んで建つオリエンタルやシャングリラとともに「バンコクのリバーサイド豪華ホテル御三家」みたいな存在でした。今ではバンコクにも多数の高級ホテルが建ち並び、すっかり影が薄くなった印象。お値段的にも1万円台で出ていることもあったりしますが…。ただロビーはかっての栄華を感じさせる雰囲気。

 

部屋は最上階の28階クラブフロアにアップブレードしてくれました。広さとしては標準的。リノベーションはきちんと行っているようで、かなり綺麗です。

 

ベッドサイドに重に使えるコンセントは1箇所。このあたりは設計の古さ、かもしれません。

 

クローゼットとミニバー。冷蔵庫にぎっしりとドリンク類が入っているのは「一流ホテル」のプライドでしょうか。コーヒーはコーヒーメーカーで淹れるスタイルです。

 

バスルームはかなり広く、バスタブとシャワーブースが別々に用意されていました。

 

そしてこのホテルの大きな特徴は「全室リバービュー」。大きな窓からはチャオプラヤ川が一望です。

 

ホテルの建物がT字型になっていて、川側のほうにしか客室が設置されていないんですね。そのせいで、逆方向を見るとホテルの建物が見えちゃいますが。

 

廊下は街側。

 

こちらからはバンコクの街並みが眺められます。おそらく、このホテルが建った1980年代前半は高層ビルなんてここくらいしかなかったんだろうなぁ。

 

プラチナエリートだと特典として朝食が無料で頂けます。1階のレストラン「Feast」が朝食会場です。

 

メニューは充実。サラダやハム、チーズ類。

 

その場で作ってくれるエッグステーション、この手のホテルなら必ずありますな。パンケーキやワッフルなども焼きたてがどんどん補充され、様々なソースで楽しめます。

 

ベーカリー系もかなりのクオリティ。食事の美味しさはさすが老舗ホテル、って感じでした。

 

タイ料理も多数用意されていました。

 

まずはフルーツ類から。スイカが瑞々しくて甘かったなぁ。

 

オムレツはどちらかというとトロトロ寄り。

 

ワッフルはホイップクリームも添えられます。

 

2日目の朝食はタイ風で。

 

最終日はこんな感じ。

 

クラブラウンジは27階にありました。

 

景色のいちばんいい川沿いにあり、割と広い印象。

 

こういう景色が拝めるわけですよ。

 

昼間はソフトドリンクだけですが、そのぶん空いているので寛げます。

 

夕方からはカクテルタイム。お酒と食事が提供されます。で、窓からはチャオプラヤ川の夕暮れという絶景。

 

フード系はここで夕食を済ませてもいいほどの充実っぷり。タイカレーなどもあってガッツリ喰うのもアリですし、スイーツ系も数種類が並びます。

 

冷菜系もあって、酒の肴にも困りません。なおアルコール類はカウンターでオーダーして持ってきてもらう形です。ノンアルコールのカクテルも色々用意されていました。

 

で、窓からはチャオプラヤ川の夕暮れという絶景を眺めながら頂くわけよ。最高じゃん。

 

勿論プールもあって2箇所用意。こちらは川を眺められるデッキにあるほうで、何故か水深3mとか妙に深いところがあったりしますが…。

 

もう一つは川は眺められませんが緑に囲まれたリゾートっぽい雰囲気。

 

こっちは孔雀がデッキチェアを占領してましたが。

 

ホテルの最寄り駅はスカイトレインのサパーンタクシン駅ですが、歩くのはちょっと遠い距離。30分おきにサパーンタクシン駅の桟橋までを結ぶシャトルボートが運行されています。桟橋行きは対岸のショッピングモール「アイコンサイアム」経由での運航。

 

乗船時間は10分ちょっと。これはこれで楽しい。

 

川からの眺めもいいですからね。夜のホテルもライトアップされて綺麗に見えますし。

 

ホテルに向かうシャトルボートからは川沿いに並ぶ御三家が眺められます。手前がシャングリラ、真ん中がオリエンタル、一番奥がシェラトン

 

でも実はバスが一番便利な移動手段だったかも。ホテルのすぐそばにバス停があり、サイアムスクエアまで10から15分くらいで行くことができます。

 

エアコンバスで運賃は13バーツと格安。だいたい15分おきくらいには運行されているようです。時刻などは全く当てにはなりませんが、ルートだけならGoogleマップでも調べられるので、昔に比べるとかなりバスも使いやすくなりました。

中国経由でタイへ、その1:リニューアル中の関空より。

2月の連休、約2年ぶりでタイへ行ってきました。

 

今回確保した航空券は関空発。中国国際航空の上海経由で、往復なんと4万円でした。フルサービスキャリアなので手荷物も無料で預かってくれるし機内食も出るし、スターアライアンスメンバーの航空会社だからSFCの上級会員としての特典も使えるし、少ないけどマイルも貯まるし…でこのお値段ならお値打ちでしょう。なお関空まではのんびり快速を乗り継いで来てます。

 

航空券はTrip.comで手配したのですが、スマホアプリを入れているとチェックインカウンターの位置などを通知で教えてくれます。大きな空港だと自分の乗る航空会社のカウンターを探すのが一苦労だったりするので親切。ちなみに関空って空港駅からそのままこの通路を進んでターミナルに入ると、国際線出発フロアの4階に行く手段がエレベーターしかないんだね…。

 

まぁそういうわけで迷わずカウンターまで来れました。

 

チェックイン開始は2時間半前からの様子。既に多くの旅客が並んでました。こちらは優先カウンターが使えるのでそれほど待たずに済みますが…。なお、今回チェックインするまで謎だったのが「上海での乗り継ぎ」。手荷物はバンコクまでスルーなのか?上海で入国手続きとかあるのか?等、情報が錯綜して全く解らない状態でした。で実際のところなんですが、チェックイン時には上海までと上海発バンコク行きの2枚の搭乗券が発行されました。手荷物はバンコクまでスルーチェックインでしたが、手荷物の中に規制品等が入っていない旨の誓約書へのサインを求められました。モバイルバッテリー等が入っているのが分かると乗り継ぎ便に搭載できないケースが発生するためだそうな。充電式のシェーバーを持ってきていたのですが、念のため機内持ち込みに移しました。

 

最近の関空といえば、保安検査通過までの混雑がえげつなく、待ち時間がもの凄く長いことがあると話題です。今日はどうかな?と思ったのですが、訪日客でかなり混んでいる割にはそれほどでもありませんでした。ただ、周囲に並んだフェンスや無駄にたくさんいる係員などから、混んでるときにはガチでヤバい感じなんだろうな、というのは伝わってきました。

 

関空は来年の万博に向けてターミナルビルのリニューアルを行っていますが、国際線の保安検査場はまだ工事が終わっていません。昨年12月にオープンしたのは出国審査場と免税店のエリアになります。確かに出国審査場はかなり広くなっているようで、カウンターの数も増えているように見えました。審査を終えると一方方向に向かって進む流れになります。

 

ワンフロア下に降りていくエスカレーターがあって…。

 

その先が免税店エリアです。

 

免税店エリアのど真ん中に通路があってそこを通らないとゲートエリアに行けない、という最近流行の「ウォークスルー型」です。

否応なくお店の中を歩かされることになるため、かなりのお客さんが買い物しているようで凄い賑わいでした。そりゃ訪日客がこれだけ来ている中、帰国前にコレ見せられたらテンション上がって買っちゃうかもな…。ただ出発直前でゲートまで急いでるお客にとっては買い物客が邪魔に感じそう。

 

一番驚いたのは日本のお土産菓子販売のコーナーです。「白い恋人」や「東京ばな奈」といった定番土産がここで売られているのですが、商品は並んでおらず見本がショーケースに展示されているだけ。

 

購入はこのタッチパネルでオーダーするようになってるんですよ。オーダーするとレシートが発行され、それをレジに持って行ってお支払い。

 

そのあとは自分の頼んだ商品の準備が出来るのを待つだけ。引き取り可能になるとレシートの番号が頭上のディスプレイに表示されます。かなり混み合っているようで受け取りまで45分以上かかると案内されていましたが、みんな待つのね。

 

その先には中央に休憩スペースがあり、その周囲には有名ブランドのブティックが並びます。

 

このあたり、リニューアル前は一般エリアとしてショップやレストランが並んでいたフィロアだったはず。構造的に撤去が難しかったのか、謎のオブジェのように残されたエスカレーターが。

 

上海行きのゲートは南サテライトなのでシャトルで移動。これも将来的にはなくなる、なんてハナシもあるらしいけど。

 

あ、ここにもお土産物屋あるじゃん! ここなら商品が手にとって選べるし待ち時間もないぞ!

 

スターアライアンスゴールドメンバーのラウンジとして案内されたのはJALサクララウンジでした。最近営業再開したところの筈。スタアラなのにJALラウンジなの?って気がしますが、グランドハンドリングの委託先の関係とかで意外とこういうの、あったりします。コロナ前はセントレアシンガポール航空に乗るときもサクララウンジに案内されてました。

 

そういうわけで、思いがけずJALラウンジ名物のビーフカレーにありつけました。やっぱ旨いなコレ。

 

そろそろ搭乗開始というタイミングでゲートに到着すると、既に搭乗をまつお客の列ができていました。さぁ搭乗開始!という雰囲気のところでアナウンス。

 

上海空港周辺の管制混雑のため出発が遅れ、搭乗開始が18:20頃になる見込みとのこと。えっ2時間以上遅れるの? 乗り継ぎ時間は3時間以上あるけど大丈夫か?

 

プライオリティパスで利用できるカードラウンジなどにも行ってみましたが、こちらはドリンクしかありません。それよりも何となくイヤな予感がしたのでゲート付近で待機することにしたのですが、そういうのって当たりますね。夕方5時過ぎに「17:15より搭乗開始します」とのアナウンスが入り、時間が早まりました。

 

実際にアナウンスされた時間に搭乗が始まりました。今日の機材はA330です。

 

搭乗は順調に進んだように見えたのですが、結局プッシュバックは18時過ぎでした。

 

関空から上海は順調なら2時間足らずの距離ですが、機内食がちゃんと出ました。ただ、トレーではなくメイン+ボックス、という構成。

 

中身はこんな感じで、メインは牛肉の炒め物にご飯。意外とちゃんとしてる内容で、味の方も普通に食べられるレベルです。1月に乗ったアシアナ航空も「メイン+ボックス」でしたが、トレーに比べると片付けか簡単そうで時短を狙ってるんですかね。

 

なかなか着かないなぁ、と思ったら空港混雑のせいかぐるぐる待機させられている様子。

 

結局、上海に到着したのは夜8時過ぎでした。

 

乗り継ぎ時間が1時間くらいしかなくなっちゃったよ…と思ったら一応スタッフが待機しており,バンコク便への乗り継ぎ客を案内してくれました。この便に20名以上乗っていたようで、まぁそれなら案内係出すよなぁ。

 

上海での乗り継ぎですが、特に書類等への記入はなし。乗継案内カウンターでパスポートを提示して手続きをしてもらうだけでした。検温ゲートがいまだにあるのがちょっと吃驚でしたが、ここから保安検査場へ向かう流れ。

 

乗り継ぎ便のゲートに到着すると既に搭乗案内中だったのでそのまま乗り込みました。ただ、ドアクローズは定刻より遅れ、更に「空港混雑のため」として離陸したのは夜10時をまわってからでした。

 

バンコクまでは4時間超の飛行時間となるため、機内食は普通にトレーで出てきます。メインはチキンのカレー風味炒め」みたいなやつ。デザートが謎に亀ゼリー…。

 

結局、バンコクスワンナプーム空港への到着は40分ほど遅延し夜中の1時半頃になってしまいました。

 

こんな夜中でも旅客は結構多く、入国審査でも30分以上待つことに。

 

市内までの移動はGrabを使いましたが500バーツ以上かかりました。タクシーで行った方が安かったかも。

こんな歴史も大切に、「URまちとくらしのミュージアム」見学。

なかなか予約が取れません。

 

山の上ホテル」をチェックアウトし、赤羽へやってきました。

 

赤羽駅から歩いて10分もかからないくらいの丘の上にURの賃貸住宅「ヌーヴェル赤羽台」があります。今日のお目当てはこの一角にある「URまちとくらしのミュージアム」。昨年9月、UR=独立行政法人都市再生機構がオープンした、集合住宅や都市計画の歴史を紹介する施設です。

 

ここは以前は「赤羽台団地」と呼ばれ、URの前身である日本住宅公団が造成しました。老朽化が進んだことから2000年から建て替えが進められ「ヌーヴェル赤羽台」と名前も変わりました。エレファントカシマシ宮本浩次が育った場所でもあるらしいですね。

 

すっかり新しいマンションとなった中、いかにも「公団住宅!」といった佇まいの建物が。

 

その近くにはこれまた公団住宅の団地でよく見かけた「スターハウス」もあるじゃないですか。箱形団地に比べて地理的制約が少ない、居室の三方が外に面するので通気性がいい、団地の景観に変化を与えられる等々の利点から作られましたが、建設費が高いとか隣家と近くてプライバシーに問題がある等の問題もあって次第に採用されなくなり、今では殆ど残っていません。その貴重さから、先ほどの団地建築とともに国登録有形文化財に指定されました。

 

その近くにあるのが、「URまちとくらしのミュージアムミュージアム棟です。こちらの見学はガイドツアーに参加する必要がありますが、ツアーは1日3回実施で各回20名が定員。しかも水曜と日曜、祝日はお休みなので、かなり狭き門となってなかなか予約が取れないんですよ…。今回は「山の上ホテル」に泊まるタイミングで運良く確保できた次第。ツアー開始時間になるとまずツアーや見学に関する説明や注意事項が伝えられ、URの歩みに関するビデオを鑑賞します。

 

その後、1階から4階までエレベーターで上がり、復元住戸の見学がスタート。こちらでは日本の集合住宅や都市計画において重要なマイルストーンとなった4つの団地の居室が復元。保存されているんです。最初に見学するのは「同潤会アパート」。同潤会関東大震災からの復興の一環として1924年に設立された財団法人で、東京と横浜に16箇所「同潤会アパート」を建設したことで知られています。同潤会は今のURとは直接的な繋がりはなく、「日本初の鉄筋コンクリート集合住宅」としては軍艦島のほうが先ですが、それでも計画的な都市開発と大規模な鉄筋コンクリート造の団地建設という面ではエポックメイキングな存在であることから、ここで大きく取り上げれているようです。

 

ここで復元されているのは代官山の同潤会アパートのうち2種類の住宅。こちらは単身者向けとして用意された部屋です。

 

風呂もトイレもない一部屋だけの間取り。

 

玄関側に押し入れ風に用意されたベッド?がちょっとイイ感じ。団地に独身者向けの部屋?って気がしますが、同潤会アパートは街区まるごと再開発し、難燃性の住宅を供給することを目指していたため。同じ街に様々な人が暮らすコミュニティが形成されるよう、ファミリー向けだけでない住宅の供給が行われたわけです。コミュニティ形成という点では団地内に銭湯や食堂があったり、井戸端会議が出来るような場所が多数用意されていたりと住民同士の交流を促すような仕掛けも多数あったそう。

 

こちらは世帯向けの住宅。

 

和室2室に台所、お手洗いという間取りです。

 

室内はすっかり和風の設え。

 

同潤会アパートでは日本で団地を建設するにあたり様々な新しい技術的な試みも取り入れられていました。床面は畳ではなく、コルクに畳風のシートを引いたものですが、洋風の暮らしにも対応できるように考えられたもの。ただコルクは当時輸入品しかなくコストは高かったらしいですが…。なお同潤会はその後、1941年に設立された住宅営団に引き継がれました。ただ住宅営団は戦時中の設立のうえ軍需産業への住宅供給も行っていたことからGHQから解散命令を出されてしまいます。同潤会アパートを含む賃貸住宅は居住者に払い下げられることになりました。分譲マンション化したことで合意形成が困難だった面もありそうですが、2013年を最後に同潤会アパートも全て取り壊され再開発されてしまいました。

 

お次は戦後。戦後復興期に不足する住宅を大領に供給する必要に迫られ、1955年に日本住宅公団が発足しました。その日本住宅公団が開発した初期の団地のうち画期的なコンセプトを導入したものの一つがここ「蓮根団地」です。

 

蓮根団地の完成は1957年。玄関周りは今の住宅に比べてもそれほど違和感がありません。

 

蓮根団地は「ダイニングキッチン」が導入された初期の団地となります。当時の日本ではちゃぶ台で食事し、夜はそれを片付けて掃除して布団を敷いて同じ部屋で寝る、というスタイルが一般的でした。そりゃ片付けの手間が大変じゃん!食事場所と寝る場所を別の部屋にすれば主婦の仕事減るよね?という「寝食分離」という考え方を提唱。それを実践するためにこのダイニングテーブルは作り付けの標準装備として用意されていたというから驚きです。あまりの使いやすさに引っ越しの際に一緒に持って行こうとする居住者も後を絶たなかったとか。

 

居室は和室が2室。ベランダには収納庫が用意されています。

 

風呂とトイレがついていますが、風呂場の洗面台のシンクがもの凄く深くなっています。この写真だと簀の子で底上げされていますが、洗濯での利用を想定したものだそうです。まだ当時は洗濯機が一般的ではなく、ここで手洗いしていたわけですね。そのため団地内に洗濯機を置く想定のスペースが用意されていません。そういえばダイニングキッチンも冷蔵庫を置くようなスペースがないんですよね。

 

その次が1957年竣工の「晴海高層アパート」です。当時としては未曾有の高さだった10階建てで、エレベーターが設置されたのも公団住宅としては初のものでした。

 

3層6戸分をワンブロックとした「メガストラクチャー構造」が特徴で、当初は1階はピロティとして解放される構想でしたが深刻な住宅不足解消が目的だった公団住宅にそんな贅沢な空間利用が認められるわけもなく、しっかり住戸が設置されました。

 

エレベーターは各階には停まらず、1階・3階・6階・9階だけ停まるスキップフロア形式。

 

実際に使用されていたエレベータも保存されています。スキップフロアになったのは当時まだ高価な存在だったエレベーターのうち「ドア」のコストが高く、それを極力減らすため、ではないかとのこと。なおエレベーターのカゴ内の撮影はNGでしたが、使用されていた当時のまま保管されているので、ちょっとお上品とは言いがたい落書きとかが、ね…。修復すればいいんだろうけど、保存という観点からはそう簡単じゃないでしょうし。

 

ここでは2種類の住宅が復元されています。最初はエレベーターが停まるフロアにあった住戸。外廊下が非常に広く感じますが、これも住民同士の井戸端会議の場所となることを意図したものだそうで。手すりが巨大ですが、初の高層アパートということで普通の金網とかじゃ落っこちるんじゃないか、と心配だったのでこんな形になった模様。壁面には電話が設置されていますが、なんとコレ外線に繋がる電話機なんです。まだ固定電話が一家に一回線というワケではなかった当時、電話がかかってくると各住戸に通知が届き、ここまで電話に出るために出てきていたそうです。

 

さて、ここまで「なんかどっかで見たような…」と思った方、いませんか?

ソレ、多分コイツです。

slips.hatenablog.com

 

この「晴海高層アパート」の設計者は前川國男。日本の近代建築の巨匠であるだけでなく、世界三大建築家といわれるル・コルビュジエの日本の一番弟子と言われる建築家です。もしかしたら日本でも師匠の作ったユニテ・ダビダシオンみたいな集合住宅を作ってみたかったのかもしれません。

 

slips.hatenablog.com

 

考えてみればフランスのユニテ・ダビダシオンも3フロアを1つのユニットとする構造でした。あちらは2フロアのメゾネットスタイルでしたが、さすがに1950年代の日本の公団住宅で採用できるような間取りではないですね…。エレベーターをスキップフロアにしたのも、もしかしたら師匠の真似をしたかっただけだったりして。

 

ただお部屋は和室。ただベランダのある窓側にちょっと腰掛けられるような棚があるあたり、ちょっとユニテ・ダビダシオンっぽい雰囲気です。

 

台所はステンレスと、当時としては高級品。なんせ家賃が今の物価だと月25~30万くらいだったそうですからね。銀座や丸の内などにお勤めのエリートサラリーマンの家庭や芸能人などが多く入居していたとか。

 

トイレが様式なのも当時としては珍しかったはず。

 

続いて、エレベータが停まらない階にあった住居。階段でワンフロア上下してアクセスします。

 

ダイニングキッチンに和室が2室という間取り。ただこのフロアには外廊下がないため、双方向に大きな開口部が取られているのが特徴です。

 

こちらはベランダ側。ここにもベンチ?棚?らしきものが。

 

キッチンの方向。脇のスペースは冷蔵庫の設置を想定したものかも、との説明でした。それなりの高所得者が入居することから、そうした贅沢品も持っていたのかも、ですね。なお配管が剥き出しなのは当初から。隠すよりは出した方が広く見えるから、だそうな。

 

ダイニングテーブルの上にはル・コルビュジエを意識したのかモデュロールの絵が飾られていました。

 

復元住戸として最後に見学するのが「多摩平団地テラスハウス」です。郊外では住宅開発も団地ではなく長屋スタイルが用いられており、1958年に入居が始まったこちらは初期の典型例となっています。

 

2階建ての住居が横に6戸繋がって並ぶ構成でした。

 

2階は見学できませんでしたが、1階は自由に見てまわれます。こちらには居間が一部屋。

 

台所はこんな感じですが、勝手口があるのが集合住宅の団地と違うところかも。

 

最後に都市計画としての団地の変遷や、住戸に使われる様々な備品等の移り変わりの展示コーナーに案内されます。住宅不足の解消のために住宅をとにかく供給することが目的だった日本住宅公団も、住宅不足が解消されると「住環境の向上」に目的がシフト。1981年に住宅・都市整備公団へと改組されます。そして過去に開発した団地等の再生が大きなテーマとなってきたことから、現在の都市再生機構へ変わりました。なんせ英文名が「Urban Renaissance Agency」ってルネッサンスかーい。確かにここでは、住宅開発の目的が変わってきたことで団地のレイアウトが変化したり設備等が変わっていった変遷も見ることができ、なかなか興味深いです。

 

見学時間は2時間弱。でも屋外にも展示物があったりするんですよ。この円筒形の謎の物体、先ほどみた「晴海高層アパート」に設置されていたもの。エレベーターがスキップフロア形式でしたが、当初は2階には3階までエレベーターで上がって階段でワンフロア降りてアクセスする構成でした。でもソレって無駄じゃね?と竣工前に気がついて、2階へ直接あがれる外階段が設置されることになったんだそうです。その外階段がコレです。中は螺旋階段となっており、2住戸で1箇所の階段を共用していました。

 

昔ながらの団地の向かいに今風のマンション。外の敷地に保存されている団地は内部見学はできませんが、大学との共同研究に使われたりしているようです。今後は公開される可能性もあるような感じだったので、ちょっと楽しみ。

 

名古屋への戻りは空路の利用。

 

JALセントレアまで飛びました。

 

夏スケジュール期間にB777などが投入されていた頃はいつも遅れている印象でしたが、冬スケジュールではB737が使われ,かなり時間通りに飛んでくれています。

さよならの東京、「船の科学館」&「相田みつを美術館」へ。

山の上ホテル」宿泊の週末、ちょうど「この週末で最後」なものがいくつかありましたので巡ってみます。

 

今回の状況はJALで飛びました。朝7時過ぎにセントレアに到着。

 

保安検査場はコロナ前でもなかなか見かけなかったような大行列になってるじゃないですか! 時間が迫った便のお客から順次優先案内をしているのですが、ANAのスタッフは数人忙しく動き回っているのを見かけるものの、JALの職員は見かけません。羽田行きの出発時間の旅客の優先案内が始まりましたが、保安検査場の通過は出発20分前を少し切った時点でした。まぁなんとか乗れましたけど…。

 

保安検査通過後はゲートに直行。いつもならアンケート「空旅リサーチ」でドリンク貰うのに、今日はその余裕はナシ…。

 

そんな状況でしたが、出発はほぼ定刻でした。

 

今日は富士山が綺麗に見えます。

 

羽田への着陸前も横浜の街並みの向こうにクリアな富士山が。

 

羽田からはリムジンバスでお台場まで移動しました。

 

ゆりかもめ」で東京クルーズターミナルで下車します。駅のホームから見えるのは2011年に閉館した「船の科学館」。建物はそのまま残っていたのですが,今年2月から解体工事が始まることになったので、最後の姿を拝みに来たわけです。

 

この客船のような建物は1974年に開館しました。実は当初は実際に引退した客船「クイーンエリザベス」を購入して展示する構想で、実際に交渉まで行われていたのですが、1960年代当時の当時の日本の外貨準備額ではそれだけ巨額の買い物を海外で行うのは無理、とこの計画は断念されます。「クイーンエリザベスⅡ」を模したと言われていますが、当初計画の名残なんですね。開館当時のお台場なんて建物がコレくらいといった状況で、永らくこの特異な姿は湾岸エリアのランドマークでした。

 

船の形の本館の展示は終了していますが、別館展示場と屋外展示はまだ行われています。

 

大きな本館の脇に小さな建物。

 

別館展示場はこちらです。

 

広いスペースではありませんが、展示内容は多岐にわたります。

 

お隣の展示「宗谷」に関するもの。

 

日本の領海や国境の島々、海上保安庁の紹介など。

 

海運に関するものもありました。

 

なお本館ですが、一部立ち入りが可能でした。この付近のお手洗いとして、本館内1階のトイレが使えるようになっていたんです。エントランスはなかなか豪華な作りで、かなり気合いの入った施設だったことがわかります。

 

本館屋外の片隅に、なんか何処かで見たような像が…。

 

屋外にも恐らく日本の船舶の歴史上はそれなりに貴重と思われる展示があります。本館解体後はどうするんだろう?

 

こちらに銅像。恐らくアラフォー・アラフィフの皆さんには懐かしい「日本船舶振興会」の笹川良一のCMのやつだ! 「一日一善」とか「お父さんお母さんを大切にしましょう」とか、よくテレビで流れてたもんなぁ…。そもそも「船の科学館」も「日本船舶振興会」が構想したものですからね。1956年には世界一の造船国になった日本に本格的な船舶に関する博物館施設を、ということで計画されたそうです。なお「日本船舶振興会」、今の「日本財団」ですからね。競艇の儲けで色々やってるトコは変わってないけど。

 

なお、「船の科学館」の展示物の一つとなる「南極観測船 宗谷」は、今後も展示が続けられます。

 

「宗谷」が係留されている岸壁には大きなスクリューが展示されています。2012年までここに展示されていた「青函連絡船 羊蹄丸」のものです。

 

昔の写真を漁ってみたら、ここに「羊蹄丸」があった頃を写したものがありました。東京クルーズターミナルを建設する際に「宗谷」が今の場所に移設されています。

 

こちらは入場無料。寄付は求めていますが、カネとってもいいと思うよ…。競艇の儲けがあるから大丈夫なのか?

 

順路に沿って船内を見学。

 

こちらにも南極観測や南極に関する展示があります。この「宗谷」という船もなかなか波瀾万丈な経緯を辿ってまして、進水は1938年のこと。ソ連から発注を受けた砕氷能力を持つ貨物船として建造されながら戦争激化でソ連に引き渡されず日本で貨物船として使われ、戦時中は徴用されて軍の輸送艦になります。戦後は引き揚げ船として使われた後に海上保安庁灯台補給船として活躍。そんな中、1957年の国際地球観測年にあわせて日本も南極観測に参加することが決定します(これも欧州各国からは「日本が国際的な活動に復帰するのは許さん」的な反対があったところアメリカとソ連の賛成でオッケーになったそうな)。ただ日本には南極観測に参加できるような船がない!ということで「宗谷」を改造して仕立てる、ということになりました。その後、1961年まで6回の南極観測を行っています。1962年からは海上保安庁に戻り1978年まで巡視船として使われ引退、ここ「船の科学館」で展示されてることになったワケです。

 

日本の南極観測といえば「タロとジロ」ですかね。悪天候のために越冬隊を送り込めず、やむを得ず連れて行った樺太犬を残して帰国することになったワケですが、当時も「なんで犬を置いてきたんだ」とかなり非難されたそうで。最近、大きな飛行機事故でも「ペットを置き去りにするなんて」とかってハナシがあったな…。そりゃ動物も大事ですけど、人の命にはかえられないよね、と。ちなみに生き残っていたタロとジロですが、シロは南極で病死しており、日本に帰れたのはタロだけでした。

 

ブリッジも見学可能。これではるばる南極まで行ってたの凄いな。

 

「宗谷」には広いデッキが設置されていますが、ヘリコプターの発着のためのもの。悪天候時にヘリコプターでの輸送が効果的だったことからヘリコプター4機に小型機1機を搭載するように改造された結果です。

 

翌日はこれまたこの日が最終日だった国立西洋美術館「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観覧。

 

1900年代初頭に芸術家がみんなハマったとも言われる「キュビズム」。1920年代には伝統的な回がスタイルに戻ったり更に先鋭的になったりして「キュビズム」ブームは沈静化しますが、最後にオチが着いてたのがこの特別展。この国立西洋美術館の設計者であるル・コルビュジエは元々画家としてキャリアをスタートしていますが、キュビズムを更に進化させた「ピュリズム」の提唱者でもあるんです。キュビズムがピュリズムを産み、ピュリズムを産んだ建築家の作品の中で展示されてるの、なんかエモくない?

 

続いてやってきたのは東京国際フォーラム地下にある「相田みつを美術館」。

 

こちらも今日、2024年1月28日で閉館します。相田みつをといえば「にんげんだもの みつを」とかで知られ、いろいろとコスられることも多いですが「そもそも何者?」って意外と知らなかったりしません? この機会にちゃんと知るのもいいかな、と思った次第。それにしても閉館発表は1月の中旬と直前。「建物の修繕のため」とされていますが、開催中の企画展のパンスレットには次回企画展の予告が出ていたりと「一体何があったんだ」という感じではあります。

 

館内は作品の撮影は禁止。相田みつをはもともと書家として高く評価されており、初期の端正な筆致の作品も展示されていました。その後、もっとわかりやすい自分のコトバで書を書くと言うスタイルとなり「書家で詩人」といった珍しい存在になりました。独特の書体で書かれた言葉はどれもシンプルでストレート、時にはあけすけに正直なことも書いています。ご子息の方が館長をされており、作品には館長のコメントがついているものが多数。中には「お金が全てじゃないと言うけどやっぱあった方がいいよね」みたいなのもありましたが、館長の「素直でいいけどこんな言葉の書を買いたい人いないよな、って売れなかったから手元にあるんだろうけど」というコメントも秀逸でした。雰囲気もちょっと里山風だったりして、なかなかいい感じ。ここが閉まってしまうのはちょっと勿体ないなぁ。