「山の上ホテル」宿泊の週末、ちょうど「この週末で最後」なものがいくつかありましたので巡ってみます。
今回の状況はJALで飛びました。朝7時過ぎにセントレアに到着。
保安検査場はコロナ前でもなかなか見かけなかったような大行列になってるじゃないですか! 時間が迫った便のお客から順次優先案内をしているのですが、ANAのスタッフは数人忙しく動き回っているのを見かけるものの、JALの職員は見かけません。羽田行きの出発時間の旅客の優先案内が始まりましたが、保安検査場の通過は出発20分前を少し切った時点でした。まぁなんとか乗れましたけど…。
保安検査通過後はゲートに直行。いつもならアンケート「空旅リサーチ」でドリンク貰うのに、今日はその余裕はナシ…。
そんな状況でしたが、出発はほぼ定刻でした。
今日は富士山が綺麗に見えます。
羽田への着陸前も横浜の街並みの向こうにクリアな富士山が。
羽田からはリムジンバスでお台場まで移動しました。
「ゆりかもめ」で東京クルーズターミナルで下車します。駅のホームから見えるのは2011年に閉館した「船の科学館」。建物はそのまま残っていたのですが,今年2月から解体工事が始まることになったので、最後の姿を拝みに来たわけです。
この客船のような建物は1974年に開館しました。実は当初は実際に引退した客船「クイーンエリザベス」を購入して展示する構想で、実際に交渉まで行われていたのですが、1960年代当時の当時の日本の外貨準備額ではそれだけ巨額の買い物を海外で行うのは無理、とこの計画は断念されます。「クイーンエリザベスⅡ」を模したと言われていますが、当初計画の名残なんですね。開館当時のお台場なんて建物がコレくらいといった状況で、永らくこの特異な姿は湾岸エリアのランドマークでした。
船の形の本館の展示は終了していますが、別館展示場と屋外展示はまだ行われています。
大きな本館の脇に小さな建物。
別館展示場はこちらです。
広いスペースではありませんが、展示内容は多岐にわたります。
お隣の展示「宗谷」に関するもの。
日本の領海や国境の島々、海上保安庁の紹介など。
海運に関するものもありました。
なお本館ですが、一部立ち入りが可能でした。この付近のお手洗いとして、本館内1階のトイレが使えるようになっていたんです。エントランスはなかなか豪華な作りで、かなり気合いの入った施設だったことがわかります。
本館屋外の片隅に、なんか何処かで見たような像が…。
屋外にも恐らく日本の船舶の歴史上はそれなりに貴重と思われる展示があります。本館解体後はどうするんだろう?
こちらに銅像。恐らくアラフォー・アラフィフの皆さんには懐かしい「日本船舶振興会」の笹川良一のCMのやつだ! 「一日一善」とか「お父さんお母さんを大切にしましょう」とか、よくテレビで流れてたもんなぁ…。そもそも「船の科学館」も「日本船舶振興会」が構想したものですからね。1956年には世界一の造船国になった日本に本格的な船舶に関する博物館施設を、ということで計画されたそうです。なお「日本船舶振興会」、今の「日本財団」ですからね。競艇の儲けで色々やってるトコは変わってないけど。
なお、「船の科学館」の展示物の一つとなる「南極観測船 宗谷」は、今後も展示が続けられます。
「宗谷」が係留されている岸壁には大きなスクリューが展示されています。2012年までここに展示されていた「青函連絡船 羊蹄丸」のものです。
昔の写真を漁ってみたら、ここに「羊蹄丸」があった頃を写したものがありました。東京クルーズターミナルを建設する際に「宗谷」が今の場所に移設されています。
こちらは入場無料。寄付は求めていますが、カネとってもいいと思うよ…。競艇の儲けがあるから大丈夫なのか?
順路に沿って船内を見学。
こちらにも南極観測や南極に関する展示があります。この「宗谷」という船もなかなか波瀾万丈な経緯を辿ってまして、進水は1938年のこと。ソ連から発注を受けた砕氷能力を持つ貨物船として建造されながら戦争激化でソ連に引き渡されず日本で貨物船として使われ、戦時中は徴用されて軍の輸送艦になります。戦後は引き揚げ船として使われた後に海上保安庁の灯台補給船として活躍。そんな中、1957年の国際地球観測年にあわせて日本も南極観測に参加することが決定します(これも欧州各国からは「日本が国際的な活動に復帰するのは許さん」的な反対があったところアメリカとソ連の賛成でオッケーになったそうな)。ただ日本には南極観測に参加できるような船がない!ということで「宗谷」を改造して仕立てる、ということになりました。その後、1961年まで6回の南極観測を行っています。1962年からは海上保安庁に戻り1978年まで巡視船として使われ引退、ここ「船の科学館」で展示されてることになったワケです。
日本の南極観測といえば「タロとジロ」ですかね。悪天候のために越冬隊を送り込めず、やむを得ず連れて行った樺太犬を残して帰国することになったワケですが、当時も「なんで犬を置いてきたんだ」とかなり非難されたそうで。最近、大きな飛行機事故でも「ペットを置き去りにするなんて」とかってハナシがあったな…。そりゃ動物も大事ですけど、人の命にはかえられないよね、と。ちなみに生き残っていたタロとジロですが、シロは南極で病死しており、日本に帰れたのはタロだけでした。
ブリッジも見学可能。これではるばる南極まで行ってたの凄いな。
「宗谷」には広いデッキが設置されていますが、ヘリコプターの発着のためのもの。悪天候時にヘリコプターでの輸送が効果的だったことからヘリコプター4機に小型機1機を搭載するように改造された結果です。
翌日はこれまたこの日が最終日だった国立西洋美術館「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観覧。
1900年代初頭に芸術家がみんなハマったとも言われる「キュビズム」。1920年代には伝統的な回がスタイルに戻ったり更に先鋭的になったりして「キュビズム」ブームは沈静化しますが、最後にオチが着いてたのがこの特別展。この国立西洋美術館の設計者であるル・コルビュジエは元々画家としてキャリアをスタートしていますが、キュビズムを更に進化させた「ピュリズム」の提唱者でもあるんです。キュビズムがピュリズムを産み、ピュリズムを産んだ建築家の作品の中で展示されてるの、なんかエモくない?
続いてやってきたのは東京国際フォーラム地下にある「相田みつを美術館」。
こちらも今日、2024年1月28日で閉館します。相田みつをといえば「にんげんだもの みつを」とかで知られ、いろいろとコスられることも多いですが「そもそも何者?」って意外と知らなかったりしません? この機会にちゃんと知るのもいいかな、と思った次第。それにしても閉館発表は1月の中旬と直前。「建物の修繕のため」とされていますが、開催中の企画展のパンスレットには次回企画展の予告が出ていたりと「一体何があったんだ」という感じではあります。
館内は作品の撮影は禁止。相田みつをはもともと書家として高く評価されており、初期の端正な筆致の作品も展示されていました。その後、もっとわかりやすい自分のコトバで書を書くと言うスタイルとなり「書家で詩人」といった珍しい存在になりました。独特の書体で書かれた言葉はどれもシンプルでストレート、時にはあけすけに正直なことも書いています。ご子息の方が館長をされており、作品には館長のコメントがついているものが多数。中には「お金が全てじゃないと言うけどやっぱあった方がいいよね」みたいなのもありましたが、館長の「素直でいいけどこんな言葉の書を買いたい人いないよな、って売れなかったから手元にあるんだろうけど」というコメントも秀逸でした。雰囲気もちょっと里山風だったりして、なかなかいい感じ。ここが閉まってしまうのはちょっと勿体ないなぁ。